2023.03.31

CARS

クルマ好きの永遠のテーマ「アガリの1台」 壊れることが喜びになる最後の年代、これがついのクルマ! ちょっと古い2台のドイツ車に乗るオーナーの自動車遍歴、驚きました!!

ついのクルマの2台のドイツ車とオーナーの増田さん。

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バンディーニ、AMS、アバルト……これまで数多くのイタリアン・レーサーを乗り継いできたエンスージァストが最後に残したいと決めたのは、47万kmを走破した300TEだった。

クルマ人生の最後に!

“アガリの1台”というと、仰々しく聞こえるかもしれないが、クルマ人生の最後にどのクルマに辿り着くのかは、ある意味でクルマ好きにとっての永遠のテーマと言える。

ここに紹介する増田英造さんは、かつてバンディーニやAMS、アバルトといった珠玉のイタリアン・レーシング・マシンを数多く所有し、サーキット走行を楽しむエンスージァストであった。

息子さんが25年にわたって所有しているという88年型ポルシェ911 カレラ。フルオリジナルで走行距離は10万km。

「子供の頃からクルマは好きでしたし、免許を取ってあちこち走り回っていました。でも特にクラシックやレーシングカーに興味があったわけじゃないんです」

転機となったのは以前紹介した山中信博さんとの出会いだった。

「彼とは同業者でね、20代の頃から挨拶くらいはする仲だったんです。あれは90年代に入ってからだと思うんですが、ある時彼の自宅に遊びに行ったら、アバルトのモノミッレがあったんですよ。“こんなの動くんやね”と。それで終わったらよかったんですが、シムカ・ラリー3が欲しいなぁと思って相談したのが、運の尽きでした」

そういって増田さんは笑う。以来、山中さんは面白そうなクルマを見つけるたびに増田さんに紹介し、増田さんも山中さんが乗っているクルマや紹介されたクルマで気に入ったものがあれば、次々にガレージへと迎え入れていった。つまり“馬が合った”ということなのだろう。

想い出のバンディーニ

「最初は京都市内のガレージに置いていたんですが、収まり切らなくなって、面倒を見てくれるメカニックがいる鈴鹿にガレージを建てて停めるようになりました。多い時で5~6台くらいあったんじゃないかな?」

そのラインナップがまたすごい。バンディーニ初のクーペモデルである66年型“サロンチーノ”1000クーペ、70年型のバンディーニ1000SP、71年型AMS1000SPといったミッドシップのレーシング・プロトタイプから、アルファロメオ・ジュリエッタ・セブリング・スパイダーなど生粋のレーシングカー、それも世界に何台もない希少なマシンばかりなのだ。

右上が一番想い出深いというジュリエッタ・スパイダー。左上は希少なバンディーニ“サロンチーノ”1000 クーペで、右下が和歌山のイベントに出場した際のバンディーニ1000SP。

「バンディーニのクーペは大変でしたね。ツインカムのエンジンが8500回転まで回ってパワーも120psくらい出るんですが、シャシーが華奢で分解しそうだった。一方バルケッタはイベント用にナンバーを取ってね。和歌山のイベントで走ったのですが、公道じゃギヤが2速までしか入らない。1時間でレインタイヤの溝がなくなるほど目一杯走りました。あんな無茶ができたのは、あの頃だけかな」

そう想い出を語る一方で、増田さんの手元には知人から送られてきた数枚の写真しか残されていない。

「写真を撮る気は全然ない。私は旅行しても撮らないんです。自分の目に焼き付ければそれでオーケー。自分の経験したことは、自分の中で終わったら、それで完結なんです」

クルマは見ていても仕方がない。思いっきり乗って楽しめば十分。楽しければ、ややこしいことは全部消えていく……と語る増田さんの潔いスタンスは素直にカッコいい。

その後60歳になったのを機に、現在の自宅を新築。仕事を引退して自宅で直すのを楽しもうと、ボディが傷んだ54年型のタルボ-ラーゴT26グランスポルトを手に入れた。

「そのために2柱のリフトを入れる前提でガレージを設計しました。でもリーマンショックで仕事を頑張らないといけなくなって、知らない間に70歳になってしまった。そしたらこれまで緩められたボルトも緩まないなど、体力の衰えを感じましてね。これは無理したら怪我すると、クルマも整理しようと決めたんです」

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