2025.04.14

CARS

X1/9、ストラトス、131、フィアット全盛期のラリーがオートモビル・カウンシルに集結

今回で10回目を迎えたオートモビル・カウンシル。毎年、主催者が決めたいくつかのテーマに沿った美術品のような名車たちの展示が行われる。今回の主催者テーマ展示2として並べられたのが、「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」と名付けられた展示だ。

ラリー・ドライバーで実業家

展示された6台のラリーカーはすべて、故ジーノ・マカルーゾ(Gino Macaluso)氏のコレクションで、ジーノ・マカルーゾ財団が所有するクルマ。ジーノ・マカルーゾ氏は20歳代前半からコ・ドライバーとしてラリーをはじめ、その後はラリー・ドライバー、自動車エンジニア、時計デザイナー、起業家を経て、モータースポーツの振興・発展に取り組むカーガイだったという。



ヨーロッパ選手権で優勝

1972年にはヨーロッパ・ラリー選手権とミトローパ・ラリー・カップで優勝。1974年にはイタリアラリー選手権を制覇したマルカーゾ氏は、翌1975年にイタリアの大手スイス・ブランドのディストリビューターに転身。その後、スイス高級時計ブランドの代名詞とされるジラール・ペルゴの会長に就任。1998年にはスイスの時計製造界で最も権威のある賞である「Esprit d'Enterprise-industrie」賞を受賞。さらに、1999年からは、時計製造業者と販売業者を代表するAIHH(Association Interprofessionelle de la Haute Horlogerie)の会長に就任した。

1987年、イタリア製自動車の愛好家が集う「クラブ・イタリア」に加わり、1990年代初頭には会長に就任。1997年には、イタリア自動車スポーツ委員会(CSAI)に参加。自動車の文化的、社会的、美的、歴史的価値を再発見し、往年のラリーカーの復元に努めた。

今回、オートモビル・カウンシルにはマルカーゾが収蔵したワークス・ラリーカー6台が展示された。まずのその中から、イタリアの名ラリーカーを3台紹介する。



1974年 フィアットX1/9アバルト・プロトティーポ

ジーノ・マカルーゾ氏が現役最後のラリーに参戦したときに乗ったのがこの「フィアットX1/9」。ペアを組んだのはなんとF1ドライバーの経験もあるクレイ・レガッツォーニ氏。マルカーゾは引退後にこのマシンをレストアしたのをきっかけにコレクションを開始。マルカーゾ・コレクションの足がかりとなった貴重な1台である。



1976年 ランチア・ストラトスHF

ラリーのランチアというイメージを絶対的なものとしたモデルが「ストラトスHF」である。HFとは「ハイ-ファイ」の意味で、忠実に扱えるモデルということで与えられたもの。ストラトスに搭載されるエンジンは、「フェラーリ・ディーノ」の2.4リッターV6。これをミドシップに搭載する。近未来的デザインのボディは、イタリアのカロッツェリア、ベルトーネのチーフだったマルチェッロ・ガンディーニ氏の手によるもの。ラリーで勝つために開発されたストラトスHFは、圧倒的な戦闘力を持って1974年のデビューから76年までWRC(世界ラリー選手権)での3連覇を遂げる。展示車はもともとマールボロカラーに塗られグループ5のターボ仕様であったが、後にグループ4仕様に作りかえられたものだ。



1978年 フィアット・アバルト131ラリー

ランチア・ストラトスといったスペシャルなマシンによるWRCでの活躍は、ランチアというブランドをもり立てるに十分な役者であったが、ビジネスという面ではより一般車に近いモデルでの活躍が必要であると判断したフィアットの経営陣は、1977年からワークスマシンを大衆車の「フィアット131ミラフィオーリ」をベースとしたモデルに変更した。もともと4ドア・セダンの131であるが、大きく張りだしたオーバーフェンダーが与えられた2ドア・ボディに変更。この2ドア化にあたりデザインを担当したのもまた、マルチェッロ・ガンディーニ氏であった。この個体は1978年のウェールズ・ラリーやマンクス・ラリーなどイギリスで活動していたマシンである。



文・写真=諸星陽一

(ENGINE WEBオリジナル)

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