ライカの歴史をおさらいすると、試作機が発明されたのは1914年。エルンスト・ライツ社(現在のライカカメラ社)の機械工、オスカー・バルナック氏が作った小さなカメラが初めて撮影に使われた場所はウェッツラーの旧市街にある。石畳の道に埋め込まれたモニュメントに近づき、持参したライカで記念撮影してみた。
オスカー・バルナック氏が初めてライカで撮影したポイントからの1枚。当時と同じ建物が目の前にある。よく見ればこちらに向かってくる女性はスマートフォンで通話中だし、私の構えているライカもデジタルのM型だが、モノクロにすると歴史的な写真に雰囲気がグッと近くなる。ここは100年という時間軸で写真の伝説に思いを巡らせることのできるパワースポットだ。
ライツパークに戻り、本社ビル1階の見学コースで工場の様子を観察する。まるでSF映画の宇宙船内部のように清潔で機能的なこの工場で最新のライカは組み立て・調整されて世界中に送り出されている。旧市街の中世から変わらない風景とのコントラスト、すなわち伝統と革新の融合が現在のライカブランドを形づくるキーワードなのだと思う。
日本の工場では床や壁面が昭和テイストのインダストリアルグリーンで塗られている場合が多いのだが、ライカカメラ社の工場はモノトーンで統一されている。よく観察すれば、組み立て中のカメラやレンズあるいは部品などを運搬するための”通函(かよいばこ)”にはマゼンダ系の差し色がされ、固定された設備機材と紛れない工夫が。この箱、是非ともライツパークのお土産として販売してほしい。
本社ビルのエントランスのギャラリースペースでは、レニー・クラヴィッツが撮影した作品を展示。ミュージシャンとしての才能に恵まれているだけでなく、写真も上手い! 彼がデザインを監修したスペシャルモデルとして限定発売されたライカもさりげなくディスプレイされていた。
願いが叶ってライツパーク内にある「arcona LIVING ERNST LEITZ HOTEL」に投宿。モノトーンで統一されたインテリアは過剰な機能を搭載することを避けた、ライカの設計思想に通じるものがある。シンプルだがよく見れば壁紙の模様はバルナック型ライカの設計図で、館内の行き先や階数表記がライカ製品と同じフォントであるなど、痺れるようなディテールを持つホテルだ。
翌朝、目を覚まして少しカーテンを開ければ目の前には往年のライカ愛好家には馴染みの深いエルンスト・ライツ社時代の赤い“Leitz”ロゴが見える。まるで夢の続きを見ているような気分だが、これは昨年竣工した映画用レンズを製造するライカの関連会社のブランドLeitz Cine Wetzlarの建屋だ。自分はまさにライカの本拠地に寝泊まりしていたのだと実感。
ライツパークはカメラやレンズというハードウエア、そしてそれを人間が使うことで生み出される写真文化を両輪として、100年を超えるライカの歴史を体感することのできる特別な場所なのだ。
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文・写真=ガンダーラ井上
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