2019.12.11

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【連載第2回】アルファ ロメオの伝道者として生まれて。博物館館長のお話/松本 葉の『アルファ ロメオに恋してる』

電話でも、LINEでも、メールでも返ってくるのは、アルファ ロメオのことばかり。松本 葉さんはいつも饒舌だけれど、いつにもましてそうなのだ。あ、これは恋だ。恋しているから、何もかも知りたくなるんだ。ならば、ぜんぶ話してもらいましょう、思いのたけを。

第2回 アルファ ロメオの伝道者として生まれて。博物館館長のお話~Timeline~

人は誰でも「生きられなかった人生」に未練があると思ってきた。私は自分の意思で日本を離れたが、いまだ祖国での暮らしにも大いに惹かれる。どうして今の仕事に就いてしまったんだろうと考える人も、結婚を後悔する人も多いはず。ところがどうだろう。今回、生まれて初めて「今の人生以外に考えられない」と言い切る人に出会った。言い切ったのはロレンツォ・アルディツィオ。ミラノ近郊アレーゼにあるアルファ ロメオ・ミュージアムの館長である。

「バロッコ村に生を受けて」

弱冠という言葉は二十歳前後につけるものという。しかし、来年(2020年)創立110年を迎えるアルファ ロメオの歴史とその歴史の伝道者であることを想うと、彼の若さは際立つ。1984年6月生まれ。“弱冠”35歳。この年齢でイタリアでも高いステータスで知られるミュージアムを率いている。



ロレンツォは、現在FCAグループが所有するテストコースのあるバロッコという名の村で生まれた。彼の両親もこの村の生まれ。いや、お父さんについてはサーキットで生まれた、こちらが正しいかも。今も周回コースの真ん中に残るカッシーナと呼ばれる古い一軒家はもとアルディツィオ家の持ち物。1962年、アルファ ロメオ専用のテスト用サーキットが建設されるにあたって祖父母はこの家をアルファ ロメオ社に売却した。その後も厳戒態勢の敷かれた車両テストを含め、サーキットへの自由な出入りを許されていたのがこの一族だ。「十代の頃からロックでもレゲエでもなく、アルファのエンジン音が私の好みの音楽でした」。ロレンツォの言葉だ。加えて彼のお父さんは同社のテスト・ドライバー。息子は父のドライビングを目のあたりにして育ったのである。

幼い頃から「アルファ ロメオに関わること」を「自分の運命」と思っていたものの、具体的にどういう形で実現できるのか、悩んでいた彼が第一歩を踏み出すのは大学時代。当時すでにリタイアしていた父のもとに毎月送られてきたOB通信のような機関紙に「ミュージアム再オープンにあたりパート説明員募集」という告知を見つけた。勇んで応募、もちろん採用されて彼は勉強とアルバイトの二足の草鞋を履いた学生時代を送った。

文学部でジャーナリズムを専攻したロレンツォは卒業後、出版社に就職。が、程なくしてミュージアムに呼び戻される。その後はとんとん拍子に出世、館長に登り詰めた。要は彼の膨大な知識が認められたということだと思う。すべてのモデル、デビュー年と発表&試乗会の場所、車両サイズやスペック、会社の変革はもちろん(こんなことは朝飯前)、関わった人々の名前、彼らの生い立ちや業績(
これも朝飯前らしい)、果てはアルファ ロメオにまつわる名言やフレーズまですべて頭に入っている。まさにアルファ ロメオのエンサイクロペディアなのである。



実年齢からは考えられないほど落ち着いた話し方、いかにも真面目そうな風貌。しかし一度だけ、やんちゃな幼い頃の顔が浮かぶようなことを口にした。故郷バロッコのことを語った時、ロレンツォがはこんな投げかけをした。

「当時のバロッコの人口は300人。300人規模の村に突如サーキット(※1)ができたんです。この時の子供たちの興奮が分かりますか?」

疾走するアルファのマシンを目を丸くして眺める子供たちの顔が見えるようだった。もちろん、その中に幼いロレンツォがいる。

「あの時から私はアルファ好きになってしまいました」、初めて照れた顔をした。

※1バロッコのテストコース(プルーヴィング・グラウンド)はさながらレーシング・コース=サーキットのようなレイアウトで建設された。その後、フィアット(現FCA)の傘下に収まってからは大々的な拡張作業が継続的に行なわれ、世界最大規模の総合プルーヴィング・グラウンドになっている。その中心にあるアルファ ロメオ時代からのコースは“ピスタ・アルファ”と名づけられている。イタリアではレーシング・コースなど競技用トラック状の施設は総じてピスタと呼ばれる。

「ロレンツォ・ドゥーエ」

自分のアルファ愛を分かってもらうことは難しいと本人自ら言う。幼い頃の「好き」はいま「愛」に成熟したが、それはアルファ ロメオのキャラクターを知れば知るほど深まったものだそうだ。

「私はたとえばポルシェやフェラーリも好きなんです。でもアルファとポルシェ、フェラーリは違う。この違いが鍵なんです。50年代にデビューして戦後の国民の生きる励みとなったジュリエッタもそうでしたが、アルファ ロメオというのは“ちょっと頑張れば”誰にでも買えるクルマなんです。つまり公平な自動車と言える。公平という意味で言えば、車格を問わずアルファのクルマにはすべて乗り手の躰に潜むエモーションを覚醒させる力がある。これが最大の魅力です。技術的にその覚醒させる力を解明して発展させるのはエンジニア、美の面はデザイナーの仕事、歴史の視点でとらえ伝えていくのが私の使命です」

アルファ ロメオ・ミュージアムの展示はスピード(技術)、ビューティ(デザイン)、タイムライン(歴史)に分類されている。こう分けたのはもちろん館長であるロレンツォだ。



背広を着てネクタイを締めいつも学者のような彼だったが、インタビューの最後に驚くような変身を遂げた。録音テープを止めると彼がこう尋ねた。「これからピスタ(ミュージアムに隣接する短い周回コース)でヘリテージ・アルファを走らせますが、見にきますか?」。願ってもない申し出に頷くと、彼が「ではあちらで待ってて」と言うや、何処かに消えた。

ピスタに現れた彼を見たとき、同じ人とは思えなかった。エンブレム付きのレーシング・スーツをまとい、ヘルメットとグローブを手にしている。思わず声をあげると彼が笑った。

「さっきまでの私はロレンツォ・ウーノ、今の私はロレンツォ・ドゥーエ」

ウーノは1、ドゥーエは2。ふたりの自分がいると軽口を叩いたのだ。初めて聞くジョーク。ナンバー2になると性格まで変わるらしい。楽しかった。

ピスタに運びこまれたのはアルファ ロメオ1900バルケッタ。正真正銘のワンオフである。ミュージアム展示車両はすべて動態保存が原則。こうして時折走らせてコンディションをチェックするという。ドアを飛び越えるようにしてロレンツォ・ドゥーエがシートに座った。気持ちのいいエンジン音をアレーゼの空に響かせながら走りだす。驚いたのは最初のカーブ。テールを派手にスライドさせた。驚く私に向かってメカニックが苦笑する。

「ギャラリーがいるから張り切っちゃって。でも心配いりません。彼のドライビングの腕は大したものだから」

これぞアルファ ロメオ・ミュージアム館長。ロレンツォ・アルディツィオは200パーセント、アルファ ロメオ人である。



文=松本 葉 写真=Alberto Cervetti 協力=アルファ ロメオ

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