2020.02.10

CARS

PR

【連載第4回】トリノに内田盾男氏を訪ね、アルファ ロメオへの想いをきく/松本 葉の『アルファ ロメオに恋してる』

電話でも、LINEでも、メールでも返ってくるのは、アルファ ロメオのことばかり。松本 葉さんはいつも饒舌だけれど、いつにもましてそうなのだ。あ、これは恋だ。恋しているから、何もかも知りたくなるんだ。ならば、ぜんぶ話してもらいましょう、思いのたけを。

第4回  トリノに内田盾男氏を訪ね、アルファ ロメオへの想いをきく。

内田盾男さんが自動車デザイナー、ジョヴァンニ・ミケロッティにその才を見出されて海を渡ったのは半世紀以上前のこと、この長い時間のすべてを日本とイタリアの懸け橋として自動車製作に費やしてきた。現在、トリノでフォルム・リチェルケ・エ・プロジェッティという会社を率いるタテオはこの街のみならず、イタリア自動車界でもっとも知られた日本人。いやいや、彼のことを日本人と意識する人がこの国にどのくらいいるだろうか。知り合って30年近い月日が流れたが、私にとって内田さんは「日本語の上手な寛大なトリノ人」である。



トリノ人だと思うのはまず目立つことが嫌いなこと。堅実で働き者、見栄や派手さを好まないのがトリノ人なのだ。自動車製作にどっぷり浸かっているところもこの街の人々そのものだと思う。「トリノという街は、ピストンを作ろうと思ったらあっという間に20もの業者が見つかり、おまけにどこもが驚くほど上質なピストンをこしらえるんだ」。カルロ・アバルトの言葉だが、トリノとはこういう土地である。内田さんはここは田舎だ、遅れているとしょっちゅう嘆く。が、これを真に受けてはならない。トリノ人は愛する大地すらストレートには褒めないのだ。ここがミラノ人とは異なるところ。

唯一、トリノ人として珍しいのは彼がランチスタではなく、アルフィスタであることだろう。週末の足は60年代のジュリア・スパイダーと4C。ガレージには75ツインスパークも、本人いわく「FFとは思えない走り」の156もおさめられている。デビュー直後に飛びついて見せびらかすのではなく、人のクチにのぼらなくなった頃にさりげなくひっそり買うのがトリノ人の流儀だから、そろそろ現行ジュリア(もちろんクアドリフォリオ)もコレクション入りすると私は睨んでいる。

「走ってかっこいいクルマ」

自動車デザイナーである以上、彼はスタイリングも好きなのだと思う。しかしスタイリング以上に魅せられているのはアルファ ロメオの技術力のようだ。

「このメーカーは一時期、国営になったわけですよ。にもかかわらずスポーツカーを作り続けた。よく考えてみてください。こんなこと、あり得ますか?」

採算を度外視した高度なメカニズムのスポーツカーやグランプリ・カーを製作したことで経営難に陥り、1933年、アルファ ロメオは産業再生機構のもとに置かれ国営企業になった。が、それでも創立以来のスポーツカー魂は守り抜かれ、レースでも活躍を続けた。

戦後、敗戦の痛手に沈む国民に夢を与えたのはジュリエッタ。続くジュリアは極めて多くのバリエーションを持つモデルだが、将来的にオーナーがチューンアップしてレース参戦することを想定し当時のFIAのレギュレーションに沿って排気量(1290/1570cc)を設定した。

「これはね、アルファ ロメオ自身が自分たちに期待されていたことを知っていたということもあるけれど、それ以上に、なんて言うかな、アルファっていうのはこういうクルマだという古代からの決まり事なんだよ。便利とか燃費がいいとか、そんなことイタリア人はアルファ ロメオに期待してないんだよ。期待するのはとにかく、走りを実現する技術ですよ。それとイタリア人に愛されるのはクルマ好きが作っていることが伝わるということだと思います。クルマはね、自分で走ることを楽しめる人が作らないと面白いものは出来ないですから」

技術という言葉が出た以上、避けて通ることはできないだろうと考え、ここで内田さんから解説を受けることにした。水平対向エンジンを搭載したアルファスッドから33、145/146、147に続く前輪駆動小型車の系譜、グランプリ・カーの車名を受け継いだアルフェッタから75に繋がるトランスアクスル後輪駆動ファミリー、共通プラットフォームを使って誕生した新時代の1号車である164と後継車166、DTMでの活躍を思い出しながら155、大ヒットとなった156、アルファ6とGTV、8Cと4C、ミトとジュリエッタなどなど、グループ分けしながらざっくり説明してもらい、最新のジュリア、ステルヴィオまで到着した。もちろん解説の中には33ストラダーレやモントリオールも入っていたのだけれど、この2台を語るとき彼の相好がぐっと崩れたことが楽しかった。

これだけわかりやすい解説を受けたにもかかわらず、理解できたわけではない。しかしそこは長い付き合いゆえに内田さんも私の技術オンチは重々承知。笑いながらこう言った。

「モデルごとの技術のディテールなんて分からなくてもいいんですよ。アルファ ロメオと聞くと“イメージ”が浮かぶでしょ。そのイメージは走ってかっこいいクルマ。これがアルファなんですよ」

「均整のとれた運動選手」

アルファ ロメオにまつわるタテオ・コレクションは実車ばかりではない。昔から集めてきたというたくさんのミニカーは特注ケースに入れられ壁に飾られている。カングーロはじめスケールの大きなモデルもざくざく。この世に送り出された本もほとんどすべて揃っている様子だ。彼のオフィスはアルフィスタの匂いが充満している。「天国ですね」と声をかけると照れた顔をした内田さんが呟いた。

「僕はね、たとえば75なんて運転するでしょ。そうするとこのクルマは“エンジニアの天国”だって思うんですよ。当時エンジニアがやりたいことをすべて盛り込んで出来上がったのが75。素晴らしい自動車ですよ」

ストレートに褒めるなんてミラノ人になっているではないかと可笑しかった。そう言うと彼は慌てて訂正。

「いや、僕はアルファ ロメオに乗ると『50馬力、パワーが足りないじゃないか』っていつも腹をたててます」





もちろんこれも逆説的な“怒り”である。アルファ ロメオはパワーよりバランスを大切にするクルマ。馬力は増量させようと思えばいくらでもできる。しかし自動車はバランスを重視した方が速い。それを実践しているのがアルファ ロメオ。筋肉モリモリではなく、均整のとれたアスリートと言いたいのだろう。

日本に愛情を、イタリアに友情を感ずるという内田盾男は、自動車をこよなく愛する日本をよく知るトリノ人の、まごうことなきアルフィスタである。こんな人は世界にたったひとりしかいない。



文=松本 葉 写真=Carlo Cichero 協力=アルファ ロメオ

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録