2024.05.22

CARS

生涯一番の傑作はどのクルマか? 85歳で逝去したカー・デザインの巨匠マルチェロ・ガンディーニ

ランボルギーニ・ミウラと写るマルチェロ・ガンディーニ

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数々の名車を手掛けたカーデザインの巨匠、ガンディーニ。その最大の功績とは?

ジウジアーロとはすべてが正反対


マルチェロ・ガンディーニが最後に公の場に姿を見せたのは、彼の功績をたたえてトリノ工科大学から贈られた機械工学名誉学位の授与式、今年初めのことだった。角帽を被りアカデミックガウンに身を包んだ彼は、昔と変わらぬ内気な笑顔で素晴らしい基調講演を行った。

イタリアにデザインスクールはおろか、デザイナーという言葉すら存在しなかった時代、ガンディーニは独学で自動車製作を学んだ。バイブルは祖国にモータリゼーションをもたらしたフィアットのエンジニア、ダンテ・ジアコーザの著作。スタイリング製作のみならずエンジニアリングへの強い興味は、十代終わりのこの時期に生まれたもの。航空技術、新素材、建築にまつわる膨大な知識を有したことでもよく知られた。



デザイナーとして花開くのはカロッツェリア・ベルトーネに入ってから。1964年にジョルジェット・ジウジアーロのあとを受けてチーフデザイナーに就任。よく知られている通り、ランボルギーニ・ミウラ/エスパーダ/カウンタックLP400、ランチア・ストラトス、アルファ・ロメオ・モントリオール、フェラーリ・ディーノ308GT4など歴史に強い足跡を残す多くの傑作を生み出した。フィアットX1/9やシトロエンBX、ルノー・スーパーサンクも彼の作品。ベルトーネ時代だけで百を超えるプロジェクトに関わったようだ。

共に1938年生まれ、共にヌッチョ・ベルトーネに才を見出されたガンディーニとジウジアーロ、20世紀を代表するふたりの鬼才デザイナーは比較されることが多いものの、性格、歩んだ道から自動車への向き合い方まですべて正反対だ。ジウジアーロは父親の薦めで自動車製作の道に進み、ガンディーニは父親に反対されても自動車製作を諦めなかった。前者は大柄でエネルギッシュ、話し上手だ。後者は小柄でとても静かな人、言葉少なでインタビューのたびに泣かされた。ベルトーネを辞したのちギアを経て自社をおこしたジウジアーロに対して、80年にヌッチョのもとを離れたガンディーニはフリーランスの道を選び、この点でも道は分かれた。自動車デザインへの取り組みという点では両者とも「機能性とカタチの美しさ」を強く意識したことは共通するが、ジウジアーロは2つの融合やバランスに重きを置き、ガンディーニは機能性を美しいカタチに落とし込んだ印象を持つ。技術的解決やアイデアによって実用性を高めたジウジアーロ、ガンディーニは夢の部分を大きく膨らませた。

(右上がアルファ・ロメオ・カラボPhoto:Stefano Guidi)


最後の言葉

60年代終わり、アルファ・ロメオのティーポ33/2ストラダーレをベースにガンディーニはカラボを、ジウジアーロはイグアナをデザインしたが、同じシャシーでも2台のコンセプトカーのデザインアプローチはまるで異なる。個人的にはこのカラボこそ、ガンディーニの傑作中の傑作ではないかと思う。サイドヴューにその後に生まれるランボルギーニ・カウンタックへの道筋が見て取れる。カタチ、ネーミング、ボディカラーも絶妙だ。車高は1m弱、鋭いウェッジシェイプが与えられたカラボでは、素材選びも含めて数々の技術的トライが行われていることも注目に値するが、最大の功績はスポーツカーを新しいデザイン言語で語ったことだろう。ガンディーニはデザイナーの仕事を「自動車にコトバを与え、クルマ自ら話をさせること」と定義する。カラボは全身で未来を語り、聞き手に夢と希望を与えた。

冒頭に記した基調講演の最後の部分はこれから未来を築く若者に向けたもの。こう始まっている。「恐れてはなりません。勇気を持って挑戦してください」。既存のアイデアを使い回すことなく、どんな難題も自らの手で解決策を見出してくださいと訴える。これぞまさに彼が長いキャリアのなかで絶えず行ってきたことではないか。スピーチは力強くこう結ばれている。「私はあなたたちの味方、応援しています」。この日から2カ月後の3月13日、マルチェロ・ガンディーニは旅立った。

文=松本 葉

(ENGINE2024年6月号)

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