2024.05.28

CARS

ランボルギーニの理想であり、異端児のイスレロ オートモビル・カウンシル2024で羨望の眼差し

スーパーカーというよりもビジネスマンズ・エクスプレスとして登場した「ランボルギーニ・イスレロ」は1968年にデビューした。イタリアン・エキゾチック・ハイパフォーマンスGTカーとしてカテゴライズしたとしてもそのスタイルは地味過ぎて、スーパーカーブーム全盛時にイスレロのことが好きだと公言する子どもは絶望的に少なかった。筆者もその存在こそ知っていたが、実車に遭遇する機会はなかったし、雑誌に掲載されている写真などを見ても感動することはなかった。

カロッツェリア・マラッツィがボディを製作

イスレロの控え目なボディはカロッツェリア・マラッツィが生産したが、このコーチビルダーがマイナーだったことも注目度の低さに拍車をかけた。イスレロの前身となった「ランボルギーニ350GT」および「400GT 2+2」のボディ生産はカロッツェリア・トゥーリングが担当したが、イスレロが誕生したときにトゥーリングはすでに操業を停止。トゥーリングにいた従業員の多くがトゥーリングのデザイナーだったカルロ・マラッツィ氏が率いるカロッツェリア・マラッツィに転籍していた。カロッツェリア・マラッツィは1967年創業で、トゥーリングの仕事を引き継ぎ、スーパーレッジェーラ工法を取得していたことでイスレロのボディを手掛けることになったのだ。



フェルッチオ氏の理想形

そのようなマニアックなエピソードを有していたイスレロだが、スーパーカー世代にとって大きな魅力は、ランボルギーニの最初のコンセプト・カーである「350GTV」が採用していたリトラクタブル・ヘッドライトを持っていたこと。この部分から往時の子どもたちは微量だがスーパーカーらしさを感じ取ることができた。

改めて説明するまでもなく、スーパーカーブーム全盛時に子どもたちを熱くさせたランボルギーニといえばミドシップ2シーターの「ミウラ」および「カウンタック」(クンタッチ)だ。しかし、実はこの2モデルは、イスレロのような豪華で快適なフロント・エンジン2+2GTカーや「エスパーダ」のようなフル4シーター・モデルのことが好きだったランボルギーニの創業者のフェルッチオ・ランボルギーニ氏の理想から少し外れた存在だった。



生産台数は200台強

というのも、かつてランボルギーニのチーフエンジニアであったジャンパオロ・ダラーラ氏がミウラの開発を提案したときにフェルッチオ氏は「どうせ、そんなクルマは売れないが造っていいぞ」と言い放ったらしく、ミウラの後継モデルとなるカウンタックがプランニングされたときにフェルッチオ氏はすでにスーパーカービジネスの第一線から一歩退き、市販開始となった1974年の時点では手持ちのランボルギーニ株をすべて売却して会社を離れていた。そのような事実はスーパーカーブーム全盛時に子どもたちには伝わらなかったので、ミウラやカウンタックばかりがチヤホヤされたのであった。

フェルッチオ氏の理想を具現化し、ランボルギーニ初の量産車として登場した350GTや後継モデルの400GT 2+2、そして、その流れを汲むフロント・エンジン2+2GTカーがある意味ランボルギーニのメインストリームだといえるが、残念ながら販売は不調で、その状況を打破するために高性能版である「イスレロS」もリリースされた。しかし、このイスレロSも多くの人から注目されることはなく、イスレロ・シリーズは短命モデルとなってしまった。1970年に後継モデルの「ハラマ」が登場したことでイスレロは引退することになったが、生産台数はデビュー年である1968年から1969年にかけてデリバリーされたイスレロが125台、イスレロSが100台だったといわれている。



クラシックカー・ラリーに参戦

そのように、いつの時代にも目立つ存在ではなかったイスレロだが、4月12日~14日までの日程で開催されたオートモビル・カウンシル2024に出品されていたが、会場では状況が違っていた。7000万円というプライスタグを掲げたジロン自動車の1968年式イスレロに対して来場者から羨望の眼差しが注がれていたのだ。

ジロン自動車のスタッフによると、アメリカから日本に来た車両で、日本ではクラシックカー・ラリーに参戦するなど普通に使用されてしており、内外装のみならず機関系のコンディションもいいそうだ。



意外にパーツには困らない

エンジンや脚まわりは大人気モデルであるミウラと共通なので、そのパーツを流用することができる。また、ブレーキがガーリング製のパーツによって構成されており、今でもイスレロに使用できる部品を入手できるという。しかも、現車には電動パワーステアリングが装着されていた。イスレロは400GT 2+2の後継モデルということもあり、400GT 2+2用の社外品の電動パワーステアリングを取り付けることができたらしいのだ。

総生産台数が225台といわれているレア車なのでパーツが揃わないのでは? と長きにわたって思ってきたが、それは誤解であった。イスレロも以前は3桁万円で買えたので、7000万円という価格を見ながら遠い目になってしまった。



文・写真=高桑秀典

(ENGINE WEBオリジナル)

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