トノバンという愛称で音楽仲間から愛された音楽家、加藤和彦。他界してから15年、その足跡をたどる映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』が製作された。多くのインタビューで日本音楽界における彼の先進性が語られた。
自費で制作した『帰って来たヨッパライ』
映画はニッポン放送の『オールナイトニッポン』のオープニング・テーマ曲で始まった。1967年にスタートしたこのラジオ深夜番組は、同年に大ヒットした『帰って来たヨッパライ』を何度も流し続けたという。
この映画は音楽家、加藤和彦に焦点を当てたドキュメンタリーである。加藤和彦の盟友にして精神科医のきたやまおさむをはじめ、ミュージシャンの吉田拓郎、泉谷しげる、高中正義、小原礼、高橋幸宏、さらには料理人の三國清三など、生前に関わりの深かった人々へのインタビューで構成され、加藤和彦とその時代を浮き彫りにする。
インタビューを通して感じるのは加藤和彦の先進性だ。バンドの解散記念に自費で制作した『帰って来たヨッパライ』は、それまでの音楽界にはなかったカタチで登場し、楽曲もこれまでの歌謡曲とは異質のものだった。音楽プロデューサー、牧村憲一は「新しい音楽の動きと加藤さんの登場がダブっている」とインタビューに答えている。
また、ミュージシャンの坂崎幸之助は『帰って来たヨッパライ』を歌ったザ・フォーク・クルセダーズを「分類できない音楽だった」と言い、きたやまおさむは「新しい価値というものが彼の居場所だったのでは?」と語る。
日本に初めてPAシステムを導入したのも加藤和彦だし、英国でツアーを行った日本初のロック・バンド、サディスティック・ミカ・バンドのリーダーも加藤和彦だった。

安井かずみとの結婚
センスの良さは音楽だけでなく、ファッション、料理などのライフスタイルにまで広がり、それは作詞家、安井かずみとの結婚によってさらに磨かれていく。ヨーロッパ三部作と呼ばれる3枚のアルバム『パパ・ヘミングウェイ』、『うたかたのオペラ』、『ベル・エキセントリック』に対するこだわりなどは、新しくて最高なものを作り出すという気概を感じる一方、それを笑いながらサラリとやってしまうエレガントさを感じた。
ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、そしてヨーロッパ三部作という加藤和彦の音楽活動の歴史は、そのまま日本のポピュラー音楽の歴史だとこの映画を観て思った。現在のジャパニーズ・ポップは彼の牽引なしでは成立していなかっただろう。
実は本誌の取材がきっかけで、私は晩年、個人的な付き合いがあった。あんなにいろいろ成し遂げた人なのに、いつもニコニコしていて偉ぶったところはまったくなかった。もしかしたら、どの場面でも自分は成功者だと思っていなかったのかもしれない。だから、他人にはいつも優しく、自分は次の新しいことを探していたのか? 違いますか? 加藤さん。
■映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』は全国公開中

文=荒井寿彦(ENGINE編集部)
(ENGINE2024年7月号)
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