2024.10.20

CARS

トムスが50周年 ル・マンやスーパーGTなど、トヨタのモータースポーツを支えたその歴史を紐解く

スーパーGT、スーパー・フォーミュラといった日本のトップ・カテゴリーのトップ・チームであり、トヨタ車のオフィシャル・チューナーとしても知られるTOM’S(トムス)が、2024年で50周年を迎えた。

レーサー、舘信秀

その創設者の1人である舘信秀氏は自動車レースなどを行っていた学生チーム、立教ロッドベンダースの一員として頭角を表し、トヨタ・ワークスに抜擢。当初は宗一という名前で活動していたが、1972年に信秀に改名したところ運気が好転し、1972年日本GP Taレース優勝、全日本鈴鹿1000kmクラス優勝、全日本富士1000km優勝、1974年と75年マカオGPギヤレース優勝などレーシング・ドライバーとしても多くの実績を残した経歴の持ち主だ。



大岩湛矣氏とふたりで創設

しかし、石油ショックの影響によりトヨタ・ワークスが1973年に解散。自身もレーシング・ドライバーとして限界を感じていた舘は、「レースに関することで商売がしたい」と、チューニングやスポーツキットの販売を行いながら、自らレーシング・チームを興す道を選択する。その際、声を掛けたのが、学生時代に自身のトヨタ・パブリカのチューニングを依頼した時から交流のあった、高島屋カローラのスポーツコーナーの責任者であった大岩湛矣氏だった。



レースから商品販売へと事業を拡大

こうして舘と大岩は1974年2月にトムスを設立。TOSCO(トヨタスポーツコーナー、1976年からTRDに改名)のパーツ販売、チューンを行いながら、1975年からはトヨタ放出のツインカム・スターレットでマイナーツーリングに出場し、1975年、76年、78年のチャンピオンを獲得。またセリカのサイドマーカー・レンズ、トムスラリー・ホイールといったオリジナル商品の開発始め、ヒットを飛ばすなど事業を拡大していく。

そして1979年にはシュニッツァーからグループ5に出場していたセリカLBターボを購入。同年から日本で始まったスーパーシルエット・レースに投入し注目を浴びた。続く1980年には童夢の林みのる氏の誘いを受け、LBターボの18R-G改ターボ・エンジンを搭載した童夢セリカ・ターボを製作。予選通過は叶わなかったものの、初めてのル・マン出場を果たしたことは1つの転機となった。



グループCでトヨタとタッグ

舘はその頃からレース活動を休止していたトヨタにアプローチを開始。1982年の世界耐久選手権(WEC)富士開催を前に宣伝課から400万円の予算とエンジンの提供を受けることに成功する。

そこで舘は「1回やったら絶対トヨタは乗り出してくる」と林を口説いて国産初のグループCマシン童夢セリカCを製作し出場。これを機にトムスはトヨタのワークス的存在として全日本耐久選手権に出場。1985年からはトヨタとともにル・マン24時間への参戦も開始した。

こうした活動を積み重ねた結果、1987年からは国内外で正式にトヨタ・ワークスとしての活動をスタート。イギリスに初の海外拠点となるトムスGBを設立したほか、コンストラクターとしてオリジナルF3の開発にも取り掛かる。

さらに91年からトムスGBでジョン・バーナード氏とジョイントしたF1計画も進められると、F3に加えてF3000の活動も開始。ちなみにトムスGBで活動したF3ドライバーの中には現レッドブルF1代表のクリスチャン・ホーナーの名もあった。



再び国内を主軸に

ところが、グループCの終焉に伴いトヨタが1993年でグループCの活動を終了すると、トムスを取り巻く状況も変化。全日本GT選手権、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)、F3など日本国内の活動を中心とした体制にシフトしていく。それに伴いトムスGBは使命を終え、その施設、設備は最終的にフォルクスワーゲン・グループへと売却された。

全日本GT選手権、スーパーGTにおいては1997年を皮切りに2006年、08年、09年、17年、19年、21年とチームタイトルを獲得。また2006年から参戦を開始したフォーミュラ・ニッポン、スーパー・フォーミュラにおいても初年度に2勝を挙げるなどトップ・チームの一角として君臨。チームとしては2011年、13年、14年、15年、20年とタイトルを獲得したほか、多くのチャンピオンを輩出してきた。



新社長招聘で改革

一方、経営面においては2018年に舘に代わり谷本勲氏が社長に就任。数々の改革を行うと共に2021年3月にデロイト トーマツ・ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(以下デロイト)との提携を発表し、1:グローバル人材の育成。2:レースデータ分析(アナリティクス)。3:オートパーツメーカーへの事業継承支援戦略。4:EV技術等の開発、EVレースの運営。5:E-S portsの展開とDesital Twinsの実現。6:スーパーシティ、スマートシティとの連携。7:オートメーカー全般を含むESG戦略の策定からなる「7つの分野の協業」を推進。

さらに、2023年には東京・お台場に自社開発したEVレーシングカートを使用する国内最大級の都市型サーキットであるシティ・サーキット東京ベイを開業するなど、「モビリティ社会における唯一無二の会社になる」という目標を掲げ、歩みを進めている。



文=藤原よしお

(ENGINE WEBオリジナル)

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