2024.12.06

LIFESTYLE

ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・USA』 40周年を迎えた伝説の名盤

日本発売から40年を迎えた節目に発売された特別な企画盤。8800円。

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ブルース・スプリングスティーンの代表作として世界的に大ヒットしたアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』。その日本発売から40年を迎えた節目に、特別な企画盤が発売となった。

「俺たちは50年もやってきた。やめるわけがない。Eストリート・バンドにフェアウェル(さよなら)・ツアーなんてものはないんだ。俺はどこにも行かない」 昨年は消化性潰瘍と闘病するなど困難もあったが、8月23日に米フィラデルフィアで行なったライブで引退の噂をそのように否定した現在75歳のブルース・スプリングスティーン。そんな彼の長いキャリアのなかで最も売れたアルバムが84年6月4日にアメリカで発売された『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』だ。



このアルバムは発売1ヵ月後にチャートのトップにつき、4週に亘って首位をキープ。その後、同月発売のプリンス『パープル・レイン』にその座を奪われながらも21週間2位に居座り続け、85年1月19日には6ヵ月ぶりに首位を奪還。80年代を代表するロックアルバムとなった。

因みに自分がスプリングスティーンを聴き始めたのは75年の3作目『明日なき暴走』。そこから好きになり、とりわけ弾き語りの問題作『ネブラスカ』には心底衝撃を受けた。感情の起伏を抑えた語り口でのダークな物語表現に圧倒されたのだ。

しかし『ボーン~』は当時複雑な気持ちで聴いた。シンセサイザーの大胆な導入、単純なメロディと熱すぎるシャウト。彼自身、『ネブラスカ』の反動があったのだろうが、特に拳を突き上げてサビを熱唱する表題曲は自分にはトゥー・マッチに感じられた。



その表題曲はベトナム帰還兵のどん詰まりの現実とその苦悩を歌った曲。もともとは『ネブラスカ』制作中に生まれ、デモは絶望感に満ちた沈んだ曲調だったが、彼はそれを『ネブラスカ』に入れず、豪快なバンド・サウンドに変えて次作の核とした。結果、サビのリフレインが独り歩きして、多くの人から愛国歌であると誤解され、共和党の大統領候補レーガンの再選キャンペーンに利用されそうにまでなった。

若かった自分もまた歌詞の本当の意味を理解する前に彼の音楽に少し距離を感じるようになったのだった(それでも85年4月の初来日公演は感動したのだが)。

そこから40年が経ち、それを記念して日本独自企画で発売されたのが『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』ジャパン・エディションだ。

80年代的なサウンドは今だとかえって新鮮で、何より現在の米国の政治状況を鑑みながら改めて向き合うと、わかることも思うこともいろいろあるし、スプリングスティーンが貫き通しているものも見えてくる。

複数の執筆者によって書かれた発売当時の状況や初来日時の逸話もためになるし、3枚のCDに収録されたニュージャージー公演(85年)の歌と演奏のエネルギーにも圧倒される。もう一度歌詞を噛み締めて向き合う価値のある作品だ。

文=内本順一(音楽ライター)

(ENGINE2024年12月号)

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