2019.03.20

LIFESTYLE

マボロシの名品! 甦った柳宗理の『Yグラス』

日本を代表するインダストリアル・デザイナー柳宗理によって60年代に発表されたまま長らく幻だったグラスツール。半世紀を経て、実用美の哲学を結晶させた名品が復活した。

柳宗理の隠れた傑作

ル・コルビュジェの元で活躍したデザイナーのシャルロット・ペリアンは、第2次世界大戦直前に1年に及ぶ日本視察を行う。同行した若き日の柳宗理は、その徹底した現場主義に大きな感銘を受けた。女性デザイナーへの偏見、異国での制作というハンディにもかかわらず、積極的に職人たちの懐に飛び込み、やり取りを繰り返しながら作品を練り上げる。デザインはすべて製図版上ではなく、現場で起こされたという。柳もそのスタンスを継承する。安易にペンを走らせることなく、素材と製法を吟味し、石膏で模型をつくり検証を繰り返す。そして時には年単位にも及ぶ試行錯誤から生まれたデザインは、数々のロングセラーを生んだ。


金型にはめてガラスを流し込むプレスガラス製法によってつくられる。右は1966年のオリジナル・モデル。グリーンは現在の技術で色を再現できないため、今回は復刻されていない。

Yグラスは柳宗理が60年代に設計した隠れた傑作。シャープなのに温かみのあるフォルムと質感が目を引く。特徴である四方に配された突起は、意匠とともに持ちやすさを兼ねている。ただしバタフライスツールやミルクパンなどのキッチンツールとは異なり、生産期間はかなり短く、市場に定着することはなかった。現在ではYグラスに必要な製法であるプレスガラスをこなせる工場が激減し、緻密な金型製作や品質管理の要求に応える企業も少なくなってしまった。だが、発表から半世紀以上過ぎた昨年11月、墨田区にある老舗の廣田硝子が「歴史的にも意義深いもの」として、その高い技術力で復刻。いま見てもまったく古さを感じさせないデザインの底力に感嘆を抑えきれない。


柳宗理/1915年東京生まれ。民藝運動の創始者として活躍した柳宗悦を父に持つ。戦後まもなく工業デザインの研究に着手し、調理器具から1964年東京五輪の聖火台、高速道路の防音壁まで、さまざまなジャンルで傑作を生みだした。1977年から2006年までの30年間、日本民藝館の館長として、各地の工藝品の普及にも努めた。

柳宗理は2011年、奇しくもペリアンの享年と同じ96歳の天寿を全うした。だが作品の数々はさらに長く生き続けている。暮らしを豊かにする美しい日用品を追求し続けた彼にとって、Yグラスの復活は幸運ではなく必然という言葉がふさわしいだろう。


■問い合わせ=廣田硝子 http://hirota-glass.co.jp/ 


©Yanagi Design Office


文=酒向充英(KATANA) 文=西澤 崇(Double One)

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