2019.10.10

LIFESTYLE

年間生産8000本から540万本へ 1902年創業 “フェッラーリ” の歴史をたどる

創業者のGiulio Ferrari(ジュリオ・フェッラーリ)氏は、フランスでブドウ栽培を学び、シャンパーニュ地方と故郷トレントの気候や土壌が似ていることを見究め、1902年にトレントでのスプマンテ造りをスタートさせた。シャンパーニュと同じように、手間のかかるといわれるメトド・クラシコ製法(瓶内2次発酵)にイタリアでいち早く取り組んだ。彼の造るワインの品質の高さは、国内外に知れ渡るようになり、“フェッラーリ”はイタリアを代表するスプマンテとなった。


フェッラーリ創業者のGiulio Ferrari(ジュリオ・フェッラーリ)氏。

後継者に恵まれなかった彼は、1952年、トレントの町で小さな酒屋を営んでいたブルーノ・ルネッリ氏に“フェッラーリ”を引き継いだ。フェッラーリ社経営陣の一人、ブルーノ氏の孫にあたるカミッラ・ルネッリさんに、ファミリーで受け継がれている話をしてもらった。
「創業者のジュリオさんにも、祖父のブルーノにも(生まれたときには他界していた)会ったことはないのですが、ジュリオさんはワインの品質に関して絶対妥協しない、とても厳しい方だったと聞いています。“フェッラーリ”を購入するための金額は1万5000ユーロ。お金持ちではなかった祖父は、家族会議をして借金することを決めたそうです」


トレントの町で小さな酒屋を営んでいた、Bruno Lunelli(ブルーノ・ルネッリ)氏。地元ワインの量り売りもしていたという。

“フェッラーリ”を受け継いだ1952年当時、その生産は年間8000本でしかなかった。ルネッリ家は、創業者の意志を頑なに守り続けることで、“フェッラーリ”ブランドの価値を高め、今では年間540万本の生産を誇る。


[写真左から] F1パイロットだったジル・ヴィルヌーブとアイルトン・セナ。1980年代、F1グランプリの世界的な盛り上がりとともに、スプマンテ“フェッラーリ”も大きく成長していく。

カミッラさんの父・マウロさんが醸造責任者を務めていた時、創業者ジュリオ氏の名を冠したワイン造りを提案したが、周りから反対されたという。それでもマウロさんは黙ってワインを仕込んだ。数年後、熟成されたワインを周りに飲ませたところ、その完成度の高さが証明され「ジュリオ・フェッラーリ」が実現した。今では瓶内熟成に10年以上をかけ、“フェッラーリ”最高峰のシリーズとして絶大な人気を博している。


フェッラーリ最高峰のシリーズ「ジュリオ・フェッラーリ」。単一畑から厳選されたシャルドネのみを120ヶ月熟成させて造られている。

 「ファミリーでやっているからこそ、細部にも時間をかけて“フェッラーリ”の質を高めていけるのだと思います。たまにはケンカもしますけど(笑)、目指すものは一緒なので問題はありません。ジュリオさんが今の“フェッラーリ”を見たら、絶対に喜んでくれるはずです」


Camilla Lunelli(カミッラ・ルネッリ) ルネッリ・グループ コミュニケーション&PRディレクター/フェッラーリ社(ルネッリ・グループ)のオーナーファミリーで、従兄のマッテオ氏、マルチェッロ氏、弟のアレッサンドロ氏とともにルネッリ・ファミリーの3代目として同グループを率いている。

トレントの美術、芸術を保護する目的で、フェッラーリ社は16世紀に建てられた別荘「Villa Margon」(ビッラ・マルゴン)を所有する。森とブドウ畑に囲まれた別荘の室内の壁には、オリジナルのままの見事なフレスコ画が残されている。「夏の別荘」としてのみ使用されていたため、暖炉の使用が少なく、保存状態が良かったのだという。手入れが行き届いた庭には、小さな教会もあって、落ち着いた雰囲気を楽しめる。


文=山元琢治(ENGINE本誌)   写真=増田岳二   通訳=田中小百合   協力=日欧商事


◇「Villa Margon」
     https://www.ferraritrento.com/en/villa-margon/

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