これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの島下泰久さんが選んだのは、「ポルシェ911GT3クラブスポーツ」。歴代サイコーの911二度買って、二度手放し、さんざん後悔したあげく三度目の購入を考えている996型のGT3こそ、人生をオモシロクしたクルマだったと島下泰久はいう。やっぱりねと芸の無さを嘲笑われそうだけれど、思い浮かぶのはやはりポルシェ。いろんなモデルがそれぞれ印象に残っているけれど、人生変えるくらいの衝撃を受けたとなると、2006年末に購入して2年近く乗った911GT3クラブスポーツ(タイプ996前期型)になる。初めて買ったポルシェであるタイプ993の911カレラから、カレラRSへ乗り換えようと目論んでいたあの頃。なかなかいいクルマに巡り会えず、悶々としていた時に家に1冊の雑誌が届いた。“クルマがオモシロイと人生がオモシロイ”と題した「ENGINE」2006年10月号。その特集の中で、当時編集部に居たイノウエ王子がTUGBOATの川口清勝氏を取材している。紹介されているクルマが、まさにこの型の911GT3。都内から房総へサーフィンに行くために選んだとのことだった。端的に言えば、敢えてそういう用途にスポーツカー、それも飛び切り硬派な当時のGT3を使うライフスタイルに惹かれた。しかも前述の通り、良いと思えるカレラRSには巡り会えないでいたし、当時GT3は価格も高くなかった。それもあって正直、半ば繋ぎのつもりで、自分もGT3を買うことに決めたのだ。「ENGINE」誌面に出してもらったこともあるこのクルマ、印象はとにかくサイコーだった。快音とともに猛烈に吹けあがるエンジンも、硬いんだけどしなやかで、凄まじくグリップするシャシーも、ステアリングの生々しい手応えも、艶めかしいスタイリングも……。とにかくすべてが快感だった。クラブスポーツなのでシングルマスのフライホイールがガラガラ言っているしクラッチは激重。車高が低すぎて自宅駐車場から出る時、毎日リップスポイラーを擦っていたけれど、当時はそれ1台所有だったから毎日、当然それに乗っていた。ロールケージの隙間から荷物を積んで空港に向かい、デートに出掛け、遠方での取材の際には帰り道のサービスエリアでバケットシートの中、何時間も寝たことだってあった。誘われてサーキットも走った。今思えば、それが後にポルシェでレースに出る、ひとつのきっかけになったのかもしれない。せっかく良いクルマに乗っているのだから、自由自在に操れるようになりたいと考えたのは、ごく自然な成り行きだった。アレは、そう導くクルマなのだ。振り返れば、あの時代は人生オモシロイと、日々感じていた気がする。もちろん、若さゆえの勢いもあったに違いないけれど。そんなクルマなのに約2年で手放したのは、一生所有していたいと思うほど気に入っていたから。矛盾しているようだが、この仕事をしていく以上、もっと広い世界を見なければと決めたのだった。思い切り後悔して、そして今も後悔し続けている。実はあまりに思いが募って、数年後に再び996前期型のGT3ストリートを購入したことがある。けれど走らせても、何か違うという思いが拭えず短期間で手放してしまった。更に言えば、お馴染みポルシェAGの山下周一さんが外装デザインを手掛け、MTが復活した991後期型も、これは逃してはいけないと凄まじい長期ローン覚悟でオーダーしたのだが、2年待っても順番が回ってこず、購入を断念することに……。いや、実は今も、とある遠方の販売店に出ている996前期型GT3の中古車が気になっていて、この嵐を乗り越えられたらゼヒ見に行きたいと思っていたりする。そのことを夢想しているだけで、この陰鬱な毎日が、少しだけオモシロイものになっているというのは本当である。そう、911GT3というクルマは自分にとって、単に高性能な911などではない。まさに“クルマがオモシロイと人生がオモシロイ”んだと教えてくれた、歴代サイコーの911である。だから今も印象は鮮烈なままであり、思い入れは色褪せることなく継続しているのだ。文・写真=島下泰久(自動車ジャーナリスト)(ENGINE2020年7・8月合併号)
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