半世紀以上のキャリアを誇るイギリスの名優が、新たなる代表作となる名演を披露した。
『羊たちの沈黙』のレクター役で知られるアンソニー・ホプキンス。昨年末に83歳を迎えたイギリスの名優が先日、2度目のオスカーを受賞した。2012年にパリで初演された戯曲を映画化した『ファーザー』で、自身と同じ名前、年齢の主人公を演じているのだ。
舞台はロンドンにあるアパート。一人暮らしの老人アンソニーは、娘のアンが用意する介護人をことごとく拒否し、周囲を困らせている。そんなある日、アンソニーは、リビングに見知らぬ中年の男が座っていることに気づく。彼はアンの夫だと話すが、アンソニーには見覚えがない。そこに当のアンも現れるが、彼女もまったく知らない他人だった。
まるでミステリーのような展開で始まる本作だが、実は主人公は認知症を患っていて、我々が見ているものも、実は彼の頭の中の出来事であることが次第に分かってくる。繰り返される同じ会話、いつの間にか消えてしまったお気に入りの絵……。一体、どこまでが現実で、どこまでが妄想なのか? ラストに明かされる現実が、厳しくも切ない。
本作が長編初監督作となるフロリアン・ゼレールは、オリジナルの舞台も手掛けた劇作家である。それだけに全編を通して濃密な会話劇が進行するが、認知症を患う主人公の頭の中を視覚的に見せる構成は、映画の題材としても適している。
なお本編に登場する役者はたったの6人。娘アンを演じるオリヴィア・コールマンなど、一級の役者たちによるアンサンブルが見事である。
だが本作で圧巻なのは、やはりホプキンスである。現実と幻想の境界線が崩れゆく中、主人公が感じる混乱、恐怖、悲しみを、驚くほどリアルに表現する。一方で、シリアスな芝居を見せながらも時折、ユーモアを交えるあたりは、半世紀以上のキャリアを誇る名優ならではの余裕だろう。
ちなみに「私は老戦士ですからね」と語る実生活のホプキンスは、今も気力に溢れ、俳優業を引退する気は毛頭ないそうだ。
『ファーザー』は5月14日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー
文=永野正雄(ENGINE編集部)
(ENGINE2021年6月号)
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