2021.08.21

CARS

小さな名車、フィアット127をデザイン。30歳で亡くなったデザイナーの生涯

1970年代にイタリアで大ヒットしたフィアット127。そのボディ・デザインを手掛けたピオ・マンズーの企画展を見にトリノを訪ねた。

父は偉大な彫刻家

ピオ・マンズー(本名ピオ・マンゾーニ)は1939年ミラノで生まれた。ウルム造形大学在学中、後にドイツ工業デザインの巨匠となるマイケル・コンラッドとともにデザインしたクルマがコンクールで優勝。ピニンファリーナの手で実車化される栄誉を得た。卒業後はさまざまな企業のコンサルタントを務める傍ら、イタリア初のトランジスタ式置き時計「クロノタイム」も手掛けている。

彼とフィアットを結びつけたのは、20世紀イタリアを代表する彫刻家の一人である父ジャコモ・マンズー(1908-1991)だ。この偉大なる父は、フィアット創業家出身で美術コレクターだったジャンニ・アニェッリと交流があったのである。その縁でピオはアニェッリ邸の家具などのデザインも任されている。



コンパクトで機能性を追求

外部コンサルタントとしてフィアットの開発陣との仕事も始めたピオは、全長3250mmの小さな「シティタクシー」を考案。その後、フィアット127のボディ・デザインを手掛けることになる。ダンテ・ジアコーサのもと、アウトビアンキや128で横置きFWD車の開発を模索していたフィアットにとって、127は初の本格的量産車として計画された。クルマを都市の装置と定義していたピオにとって、多用途性と大量普及を目指した127の開発に参加することは、水を得た魚の心境であったに違いない。しかし1969年5月26日、127の最終プレゼンテーションのためトリノまで運転していたところ、事故により30歳で死去した。



1971年に発売された127は、余裕のある室内と荷室を持った小型の大衆車として大ヒットを記録。生産は1983年まで続けられた。その成功はフィアット車におけるRWDからFWDへの移行を決定的にしたばかりか、世界中で2ボックス車の範となった。現在、トリノ自動車博物館で開催されているピオ・マンズー展は、この127のデビュー半世紀を記念してのものである。

「モノは社会の一部として機能すべき」と考えていたマンズーの作品はコンパクトで、機能性を極限まで追求している。ミニマリズムが再び脚光を浴びる今日、彼の功績から得るものは少なくない。





ピオ・マンズー展“Che Macchina! 1971-2021 Pio Manzù e i cinquant’anni della 127”はトリノ自動車博物館で2021年9月5日まで開催中。

文・写真=大矢アキオAkio Lorenzo OYA

(ENGINE2021年9・10月号)

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