イタリアが誇るラグジュアリー・スポーツカー・メーカーのマセラティが、創業111周年を迎えた。これにあわせていまマセラティの各ディーラーでは、その歴史を辿る記念キャンペーンが始まっている。

このキャンペーンは、オーナーならば自分のマセラティに対する誇りと愛情を、これからオーナーになろうとしている人にとっては敬意と憧れを深めることができる貴重な機会になるはずだ。
マセラティには数ある自動車メーカーのなかでも特別なヘリテージがある。ここではその歴史の一部を振り返ることで、なぜマセラティはクルマ好きの心を捉えるのか、その理由を考えてみたいと思う。
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歴史が始まった最初の1台
マセラティと言えば、多くの人はイタリアの老舗スポーツカー・メーカーだと思っているに違いない。しかしそのイメージは、歴史のすべてを言い表しているわけではない。なぜなら、ヘリテージの出発点となった111年前、マセラティがつくっていたのは単なるスポーツカーではなく、グランプリレーサーだったからだ。

アルフィエリ、ビンド、エットーレ、エルネストの4人の兄弟が、ボローニャで小さなガレージ、ソシアータ・アノニーマ・オフィッチーネ・アルフィエリ・マセラティを設立したのは1914年12月のことだった。
彼らは会社設立の前から、あるときは自らレーシングカーをつくりドライバーとしてレースを走り、またあるときはメーカーのエンジニアとしてレース車両の開発に勤しんでいた。そもそもの話をすれば、早逝した長兄のカルロがモーターサイクルで頭角を現したことが、マセラティとモーターレーシングの関係の始まりとされる。しかし、それは正式な会社発足以前の話だ。
卓越した開発能力とドライビングセンスのあるアルフィエリと兄弟たちが、ついに自らの名を冠したオリジナルモデル、ティーポ26をつくり上げたのは会社設立から12年後の1926年のことだった。

1.5リッターのスーパーチャージャー付き直列8気筒DOHCエンジンを搭載し、ラダーフレームに前後リジッドアクスルの足回りを持ったこのティーポ26がボローニャの工場で完成したとき、ラジエターグリルに初めて付けられたトライデントのエンブレムとともに、すでにそのボディにはタルガ・フローリオに出場するためのレーシングナンバーが記されていたと言う。そう、マセラティの命脈の起点はグランプリレーサーだったと言うわけだ。
そしてこのときアルフィエリがドライブするカーナンバー5のティーポ26は、初陣のタルガ・フローリオで総合9位、1.5リッタークラスで見事に優勝する。
純粋なレーシングカーメーカーとして歩み始めたマセラティのこのティーポ26は、その後、排気量を拡大した26B、さらに2.5リッターの8C-2500へと発展。さらに排気量を2.8リッター、3リッターへと拡大し性能を上げてゆく。
栄光のグランプリカーたち
イタリアをはじめ多くはヨーロッパで活躍したマセラティだが、1939年には海を渡ったアメリカでも偉業を成し遂げている。それは8CTFによるインディ500での活躍だ。
一時グランプリの活動を休止していたマセラティが、新しいレギュレーションの3リッターフォーミュラに復帰するために製作したのが8CTFだった。このときのマセラティは、ボローニャから現在も続くモデナに工場を移し、本格的なレーシングカーメーカーへと成長していた時期でもあった。

1.5リッターの4気筒エンジンを縦に並べた野心的な設計の直列8気筒の8CTFは、1939年と翌年のインディ500で優勝。連続優勝はインディ初の快挙だった。
8CTFはオープンホイールのグランプリカーだったが、マセラティは並行して新設計のSOHC6気筒を積むスポーツカーレース用の車両、A6G/A6GCSも開発していた。そしてその後に、このシリーズより数多くの名車が誕生する。

そのなかの1台、A6-1500は、現在のマセラティに続くツーリングスポーツの傑作だ。発表の舞台は1947年のジュネーブ・モーターショー。美しいボディはピニンファリーナの手によるものだった。
一方、印象に残るグランプリカーと言えばA6GCMだろう。設計は天才レースエンジニアとして名高いジョアッキーノ・コロンボが携わっている。そしてこのA6GCMを進化させたA6 SSGをドライブし、1953年のF1グランプリの最終戦、イタリアGPで大接戦の末に勝利したドライバーはあのファン・マヌエル・ファンジオである。
コロンボはシングルシーターのA6GCMの開発で培ったノウハウをもとに、A6シリーズを進化させた耐久レース用のツーシーターモデルA6GCSを完成させている。

コロンボはこの後、フォーミュラーカーの傑作とされる250Fの開発に携わり、1957年シーズン、ファンジオは250Fを駆って自身5度目のワールドチャンピオンを獲得する。この記録はミハエル・シューマッハという新時代の天才ドライバーの登場まで長く破られることはなかった。
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新生マセラティの始まり
ファンジオが偉大な記録をつくったこの年、一方でマセラティは高性能グラントゥーリズモを量産するという、未来を大きく変える一歩を踏み出している。1957年の春、ジュネーブ・モーターショーでローンチされた3500GTは、グランプリカーの250Fをベースに製作されたレーシングモデル 300Sロードカー・バージョンとも言えるものであった。



かつてのA6-1500がそうだったように、レーシングカーの技術を使ってそのロードバージョンをつくる手法は、3500GTのすぐ後に登場した5000GTも同様だ。そのV型8気筒は450Sのエンジンをデチューンしたものであり、それはクアトロポルテやメキシコ、ギブリやインディー、さらにはボーラやカムシンへと改良を続けながら受け継がれてゆく。


マセラティの歴史はレーシングカーと向き合い続けてきた歴史でもある。マセラティが現在もエンスージアストたちに愛されているのは、アルフィエリやコロンボやファンジオがグランプリと向き合い続けてきた人生が、いまなお色濃く反映されているからにほかならない。大切なのはそうした振り返ることができるヘリテージがあることだ。
マセラティのディーラーで111年の歴史を振り返るとともに、MC20やグラントゥーリズモ、レヴァンテやグレカーレに込められたグランプリカーの息吹を感じてみてはいかがだろう。
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今だけの特別なショールームへ
年末までの期間、全国のマセラティ ショールームが111周年のお祝いムード一色に染まっている。店内には、ブランドの軌跡をたどるヒストリーパネルやウィンドウステッカーが飾られ、まるでマセラティの歴史そのものの中を歩いているような時間が流れる。
さらに、111周年記念の特別仕様車「ネリッシモ」や、9月に受注が始まったばかりの「グレカーレ エッセンツァ」など、話題のモデルが一堂に展示されている。
そしていま、ショールームを訪れた方には特製ステッカーのプレゼントも。

特別試乗モニターや記念ボックスをプレゼント!
さらに、ブランド111周年を記念して、特別なプレゼントも実施中だ。マセラティの真髄を体感できる試乗モニターをペア11組に、そして、特別にあつらえたギフトボックスを100名にプレゼントするキャンペーンを展開している。
試乗はお住まいの近くのディーラーを選ぶことができ、1万円のギフト券も付いてくる。大切な人と極上のグランドツアラーを楽しむことができる。
▲「MASERATI 111th Anniversary Gift Box」は100名にプレゼント。トライデントのマセラティエンブレムが入ったギフトボックスは重厚な木製。ボックスを開けると、マセラティの歴史を刻んだ名車のスケールモデル、ブルーレザーキーチェーンとマセラティチャーム、カードが収められた、まさにマセラティの世界を凝縮した小さな宝箱だ。
さらに、ENGINE読者限定のWチャンス賞として、毎年好評の「2026年度マセラティカレンダー(11名様)」にも応募できる。

いまだけ、ここだけ。111年の風格と情熱を手にできるこの機会を、お見逃しなく。
文=塩澤則浩(ヒストリー) 写真=マセラティ ジャパン
試乗&特別ギフトボックスのプレゼント応募はこちら
◆Maserati 111th Anniversary Campaign◆
マセラティ創業111周年を祝し、111名様にブランド体験を届ける特別プレゼントキャンペーンを実施中。
■プレゼント内容【グレカーレを1日体感できる試乗モニター(1万円分お食事券付き)】 ペア11組様【マセラティオリジナル限定ギフトボックス】 100名様また、上記のプレゼントにご応募いただいた方の中から、ENGINE読者限定のWチャンス賞も!
【2026年度マセラティカレンダー】 11名様 ■応募締切:12月15日(月)23:59試乗&特別ギフトボックスのプレゼント応募はこちら(ENGINE Webオリジナル)