光が溢れる柱のない大空間のある一軒家で、家族とともに暮らす建築家の千葉学さん。だがこの家はもともと千葉さんが高齢の父親と2人で暮らすため、実家を建て替えたものだった。デザイン・プロデューサーのジョースズキ氏がリポートする。
細部にまで美意識が感じられるものの、どこかほっとするこの家で暮らしているのは、建築家の千葉学さん(65歳)とスタイリストの和子さん夫妻一家。1950年代に建てられた実家の建て替えで、もともとは千葉さんと父親である一彦さんの二人の男性が、静かに暮らすために設計された家である。ところが建てた後の出来事は、当の千葉さんですら想像していないものだった。

千葉さんの父親は映画会社・日活の美術監督で、この家から撮影所まで通っていた。東京23区内とはいえ、駅から遠い田畑の多いのどかなエリアだったが、すぐに周囲に家が建ち並ぶ住宅街に変貌する。千葉さんもこの場所で生まれ育ち、大学を卒業するまで過ごした。
“息子の家”で晩年を
だが、十年ほど前に母親が他界。築60年の家の老朽化もあり、千葉さんは80代になった父親のことを考え始める。マンションやコーポラティブハウスなどを一緒に見て回るが、反応は芳しくない。口にこそ出さないが、「晩年は息子の設計した家で暮らしたい」という思いがあったのだろう。千葉さんは家を建てることを決意する。
建て替えには二度の引っ越しが伴うため、父親への負担が心配されたが、幸い近くに仮住まいの部屋を確保できた。最大の課題は、どのような家を建てるか、である。千葉さんは二世帯住宅を考えていたが、父親は「一つの家に二人で住む」ことを希望。プライバシーの確保が気になったものの、1階を父親の空間とダイニング・キッチン、2階を千葉さんの空間とすることで、家の構成の大枠が決まった。
長いこと別々に暮らしていた千葉さん親子。家の設計を検討するためリサーチを重ねていくうちに、父親の思いがけない側面を知ることになる。地域の人たちに随分と支えられていたこと。クリエーターとしての自分の仕事を見てもらえるよう、資料を整理していたこと……。そんな風にして父親のことを知っていくのは、幸せな時間だったという。

こうして完成したのは、千葉さんの建築によくみられる立方体を基調としたものではなく、かつてここに建っていた実家の形にならった、切妻屋根のある家。近所の方々のことを配慮し、建物の高さをできるだけ抑え、近隣の日差しを確保するよう設計されている。2階の千葉さんの部屋は、柱がなく視線が抜ける大空間。光取りの窓が設けられているので抜群に明るい。しかも3か所に設けた吹き抜けのお蔭で、父の居る1階にまで光が届くうえ、異なる階で暮らす親子が互いの気配を分かるようになっている。父親のスペースは、来客や将来の介護のことも考え、床はコンクリートの三和土のまま。日当たりの良い一角に書斎と寝室、専用のバスルームを設けた。


千葉さんはこの家を「父の家」と名付けて専門誌に発表したところ、偶然その記事を目にした昔馴染みの女性・和子さんと再会。その後結婚することになる。雑誌の中で、「もし家族が増えるようなことがあったら、プライバシーはどうなるのだろう」と書いていたのだから、不思議な縁だ。雰囲気も、選ぶものの趣味も驚くほど似ている二人。使っていたダイニングチェアが同じだったというのも象徴的である。
男性が二人で住むために設計された家に、和子さんと年ごろの娘さんも加わり、家のムードは一気に華やぐ。なにより家族が増えたことを、父親が喜んだ。開放的な設計のため、プライバシーの心配もあったが、女性たちはこの空間を抵抗なく受け入れてくれた。時には父親と和子さんが、吹き抜け越しに上下階で会話することもあったとか。高齢だった父親は、この家で本当に幸せな最後の三年間を過ごした。
