若者がアイドルに憧れるように、若いカー・デザイナーにも憧れの人がいる。今回は、山下氏が若かりし日のアイドル・デザイナーたちの思い出を綴る。
この歳になると、学生時代のことをよく思い返したりするようになる。特に高校時代はアイドル全盛期で、 御多分に漏れずアイドルに心酔していた時期があった。デビューしたての松田聖子、大場久美子、特にピン クレディーはもう私的にど真ん中で自分の部屋中にポスターを貼りまくり(はずかしい)、勢い余って学校 の教室の時間割の隣にまでポスターを貼ったこともある。
コンサートにも何度か足を運んだ。声援し過ぎて声を嗄らしてしまったほどだ。親父が仕事の関係上、何故かピンクレディー・グッズをしょっちゅう家に持って帰って来てくれたので(何の仕事だ?)、私の部屋の中は大きな店舗用ポスターは勿論、ピンクレディー下敷き、ピンクレディーうちわ、あげくの果てにピンクレディーごみ箱まであり、部屋中ピンクレディー一色であった。因みに私はケイちゃん派であった(はずかしい……)。
アイドルといえばカー・デザイナー業界にもアイドル、憧れの人は存在する。アートセンター時代、絵の上手いプロや、かっこいいショー・カーを手がけたデザイナーはみんなの羨望の的だった。あの頃の私たちのバイブルといえば『カー・スタイリング』で、三栄書房から出ていたその雑誌には、世界中の自動車会社のクルマに関する開発秘話や様々なプロジェクトが豊富なスケッチや写真と一緒に網羅され、新しい号が出るたびに学生の仲間たちと雑誌の取り合いとなり、ああだこうだと語り合ったものだ。
インターネットもない時代、この雑誌だけが貴重な情報収集源だった。掲載されているスケッチは学生にとって最高のサンプルであり、カッコいいスケッチが載っていると、一体どうやって描いたのか、いろいろ研究したものである。
そんな中で特に私の目を釘づけにしたのは、例えばGMのトム・ピータース、フォードのエド・ゴールデンといったデザイナーによる、見ただけでその人の手によるものと判る特徴的でフラッシーな(派手でいい意味でケバケバしい)スケッチだった。やはりアメリカにいると好みもアメリカナイズされるのか地味なものより派手で目立つスケッチを好むようになる。
彼らの描くスケッチはリフレクションを強調した、それはそれは派手なスケッチで兎に角目立つ。学生の中にも派手スケッチを描く者がいて、中でもニック・ピュー、 ジェイソン・ヒルは評判の出来る生徒だった。ニックはディスレクシア(難読症)で、自分の名前のスペル、Nick PughをNigl Puhgと書いたりし てしまう。彼に憧れるあまり、学生の中にはわざと自分の名前のスペルを間違えるオタクもいたほどだ。
ヨーロッパのメーカーのスケッチ並びにレンダリングは、アメリカの会社のそれと比べるといささか地味 で学生にとってあまり魅力のあるものには見えなかったが、それでも中には非常に魅力的なスケッチがあっ た。それはとりわけポルシェのデザイナーによるものが多かった。ステファン・シュターク、グラント・ラ ーソン、マティアス・クラ、スティーブ・マーケット、ピンキー・ライ……。彼らはポルシェのデザイナーであり私のアイドルであった。そして彼らの多くは未だ現役である。
ステファンはボクスターのコンセプト・カーのインテリア・デザイナーで、現在は独立してシュトゥットガルト近郊でスタジオを運営している。彼の描くスケッチは素早く簡潔で、ラフなラインに宿るスピード感とシンプルなカラーリングは私の憧れるスケッチの一つである。ボールペンでさっとクルマを描いたら今度はマーカーで簡単に色を付けていく。まるで腕のいい大工がノミでいとも簡単にホゾを掘っていくようだ。
グラントは同じくボクスターのエクステリア・デザイナー。彼は未だ現役で最近では991スピードスター・コンセプトをまとめた。彼の描いたボクスターのスケッチも素早く簡潔でクルマがまるで走っているようだった。根っからのポルシェ・ファンでクラシック・ポルシェを何台も持っている。
マティアスは私が入社した時点での上司であり現在はプロジェクト・コーディネートを担当する。ボクスターが量産化された時、彼がインテリア・デザインを担当した。太い墨絵のようなラインで描かれたセンターコンソールのスケッチは今でも私の脳裏に焼き付いている。
スティーブはイギリス人のデザイナーで今も職場で私の正面に座っている。彼は1989年のフランクフルト・ショーで発表されたパナメリカーナのデザイナーでエクステリア、インテリアとも担当した。昔あの車 のミニカーを求め色々探し歩いた記憶がある。彼の描くスケッチには前述の3人とはまた違った個性があり、パナメリカーナ発表時に公開されたいくつかのスケッチは緻密でダイナミック。あえてタイヤやホイールを描かないスケッチを見たのは彼のものが初めてだったのではないか。彼の描く原寸大テープ・ドローイングは、タイヤと地面の接地面を上手くぼやかし、なおかつ少しチルトアップして立体に見える様にしており、まるでアート作品のようである。
ピンキーは中国人デザイナーで、残念ながら現在はポルシェから引退してしまった。今は自分の事務所を持って活躍しているようだ。彼は最初の水冷式911である996型のエクステリア・デザイナーで、あの特徴的なヘッド・ランプも彼のデザインである。彼の描くスケッチも非常に個性的で、一目で彼のものとわかる独特のタッチを持つ。その最大の特徴は強調されたプロポーションと色使いにある。彼は普通のマーカーをほとんど使わず、蛍光ペンと薄いブルーのマーカーでスケッチを仕上げていく。黄色、ブルー、オレンジといった蛍光ペンを使い車のリフレクションを表現していく。
彼は私がいたアートセンター・スイス校(残念ながら今ではもうない)にスケッチ・クラスの教師として毎土曜日に教えにきてくれていた。その授業の進め方も非常に変わっていて、音もなく教室に現れたと思ったら、何も言わずに端から順番に生徒の描いているスケッチをチラッと見て、おもむろにスケッチを描き出す。描いている間もほとんど会話を交わすことなく10分から20分で一つのスケッチを描き終わると、二言三言自分のスケッチを説明した後、次の生徒へ、といった風にただ漠然と授業を進めていく。何を隠そう私が学生時代に一番影響を受けたのがピンキーで、卒業間近の私の作品はほとんどが彼の作風に染まってしまっていた。残念ながらオリジナルに勝るわけもなく、ただ手軽に描けるといっただけで真似してしまい、今となっては後悔千万である。
もう一つの彼の特筆すべき点は、以前にも少し書いたが、彼の作るテープ・ドローイングの素晴らしさだ。 まさに天才である。ふつうテープ・ドローイングは厚めの半透明フィルムに様々な幅、1mmから始まり3mm、5mm、10mm、時には50mm、100mm幅の黒いフレックス・テープを使って主にクルマのサイド・ビューを表現するものである。
出来た作品は白黒のみの表現となる。彼はそのフィルムを2枚、3枚と重ねて使うことで微妙なグラデーションを表現してしまう。最近は学校の課題くらいでしか制作されないテープ・ドローイングだが、カー・デザインを学ぶ学生諸君には機会があればぜひ原寸大テープに挑戦してみて欲しい。さらに彼はパースペクティブの付いたテープ・ドローイングも作る。それも下書きなしで。しかもやたら早い。見ているとみるみるうちにドローイングが出来上がっていく。
学生時代には憧れの対象でしかなかった数々のレジェンド、私にとってのアイドル達。一緒に働く機会が 訪れるなんて夢にも思いつかなかった。この先自分が誰かのアイドルになることなんて、あるのだろうか。
文とスケッチ=山下周一(ポルシェA.G.デザイナー)
(ENGINE2019年3月号)
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