物語に重要な意味を持つAMCペーサー。(c)Charles Paulicevich - 2021 LES FILMS DU POISSON - GAUMONT - ARTE FRANCE CINEMA - LUPA FILM
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俳優のマチュー・アマルリックがメガホンを取った映画『彼女のいない部屋』。ヴィンテージのアメ車で家を飛び出したヒロインは一体、どこに向かっているのか?
すべての謎はラストに……
ある朝、ひとりの女性が小さなバッグを手に取り、夫と幼い子供たちが眠る家を静かに抜け出す。駐車場に停めてある夫の愛車に乗り込んだ彼女は、ガソリンスタンドに立ち寄った後、娘が弾くピアノをカセットで聴きながら、田舎道を走っていく。開放感とも苦渋とも知れぬ不思議な表情を浮かべているこの女性は一体、どこに向かっているのか? 彼女は家族を残して家出をしたのだろうか?
「彼女に何が起きたのか、映画を見る前の方々には明らかにしないでください」
公開に先立ち、こんなメッセージを寄せたのはマチュー・アマルリック。『007 慰めの報酬』でジェームズ・ボンドの敵役を演じるなど、俳優としても活躍するアマルリックが自らメガホンを取った映画『彼女のいない部屋』についてだ。
冒頭から不穏な空気が漂う本作だが、物語が進んでも登場人物たちの行動には不可解なものが多く、謎は深まる一方だ。どこかの海辺の町で仕事を見つけたヒロインは、落ち着きのない子供に注意した見ず知らずの父親に激高し、バーでたまたま隣り合わせた男性に背後から抱きつく。一方、家に残された夫と子供たちは、時折、彼女の不在を匂わせるような言葉を吐きながらも、何事もなかったかのように淡々と日々の生活を送っている。
何かがおかしい……。この映画にそう感じるようになるのは、我々の知らない重大な出来事が物語から欠落しているからだけではない。娘が弾くピアノの音色は、彼女がピアノを離れた後も鳴り続け、洗面台の前に立つ夫は、そこにいないはずの妻と自然に会話をしている。
そんなミステリアスな物語の中で存在感を示すのが、ヒロインが運転するAMCペーサーだ。今はなきアメリカン・モーターズが1970年代に発表したクルマで、大型の曲面ガラスを多用した個性的なデザインから、”巨大な金魚鉢”とも呼ばれていた。だが、そもそも彼女はなぜ、結婚する前からの夫の愛車であり、家族との思い出が詰まったこのクルマで家を飛び出したのか?
すべての謎はラスト近くに明かされるが、実はそのヒントは全編に散りばめられている。登場人物たちの不思議な行動、そして作為的に作られた映像や音の違和感に注意しながら観てみれば、そこに隠された家族の本当の物語が自然と浮かび上がってくるはずだ。美しい映像とは裏腹な、一筋縄ではいかない挑戦的な作品である。
■『彼女のいない部屋』 昨年のカンヌ国際映画祭では「カンヌ・プレミア」部門に公式出品され、仏セザール賞では脚色賞にノミネートされた本作。全編を彩るベートーヴェンやドビュッシー、ラヴェルなどのピアノ曲の美しさも特筆ものだ。ヒロインを演じるのはヴィッキー・クリープス。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』でダニエル・デイ=ルイスと共演して以来、世界的な注目を集めている。97分、配給:ムヴィオラ
8月26日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次公開
(c)2021 - LES FILMS DU POISSON - GAUMONT - ARTE FRANCE CINEMA - LUPA FILM
(c)Charles Paulicevich - 2021 LES FILMS DU POISSON - GAUMONT - ARTE FRANCE CINEMA - LUPA FILM
文=永野正雄(ENGINE編集部)
(ENGINE WEB オリジナル)
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