巨人師匠の愛車は5リッターV8マニュアルのあのクルマ!
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クルマ好きのゲストを迎え、「これまでに出会ったクルマの中で、人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台」を聞くシリーズ、「わが人生のクルマのクルマ」。今回登場していただくのは、早口の掛け合いが漫才に独自のリズムを生み、日本を爆笑の渦に巻き込んだオール阪神・巨人。いまでもステージで笑いを振りまく巨人師匠が愛車と登場!
「笑いは人の薬なり」バブル景気に日本が浮かれていた時期に、全国を笑いの渦に巻き込んだオール阪神・巨人。今回の取材にあたりインターネットでふたりの漫才を観たが、めちゃくちゃ笑った。機関銃のように矢継ぎ早に出るジョークが色褪せないのは、時代に左右されないホンモノの笑いがあるからだろう。
「笑いは人の薬なり」という言葉があるけれど、確かに面白い漫才を観ると元気になる。待ち合わせ場所に現れたオール巨人さん(以下巨人師匠)は、まさにエネルギーに満ちた人という感じであった。黒髪は金髪になり顔の皺も増えたけれど、ガッチリとした身体に衰えはなく、笑顔が人懐っこいのも私がブラウン管テレビでゲラゲラ笑っていたときと同じだ。巨人師匠の愛車はシルバーのBMW Z8。新車のような輝きである。
「2000年式です。友人に2001年に譲ってもらいました」
Z8が欲しいと思ったきっかけはゴルフへ出かけたときだった。
「当時、僕が乗っていたメルセデス ・ベンツE500を抜いていったんです。わあ、なんてカッコイイんだろうと。抜き去っていく後ろ姿は本当に素敵で、あのクルマなら一生飽きないだろうと思った」ところが、インターネットで検索してもZ8はなかなかヒットしなかった。
「そんなことを友人に言ったら“僕、持ってるよ。マニュアルが乗りにくいから手放そうと思ってたんだ。売ったるわ!”と」走行わずか7000km。ほぼ新車状態のZ8を手に入れてから23年。現在は5万3000kmを刻んでいる。

「大阪の自宅からステージのある京都の祇園花月まで運転したり、10日に一度くらいの頻度で箕面の峠道を走ったり。まあ、雨だと乗らないけど、クルマは見るもんじゃない、走ってナンボだと思ってます。ハードトップ装着が標準で、オープンにすることはまずないですね」運転免許一発合格1951年生まれの巨人師匠、日本のモータリゼーションとともに成長していった。「実家が鶏卵卸売り業でしたから、トラックも含めてクルマはとても身近でした。父が仕事で日産セドリックのワゴンを使ったり、ブルーバードSSSを買ったり。僕もクルマの免許を早く取りたいと思ってた」なんと巨人師匠、18歳の誕生日に試験場へ行き、一発合格したのだという。「試験官に“何万人にひとり”と言われました」芸人になってから最初に買ったクルマはトヨタ・マーク2ハードトップ(初代)。「月亭八方さんのクルマでした。楽屋で“八方、借金が大変やねん、誰か八方のクルマ買うてやって~!”という話が出たんです。ちょうどクルマが欲しかったので“兄さん、いくらですか?”と聞いたんです」
こうして、純白のマーク2ハードトップが最初の愛車になった。その後、日産スカイラインRS、ホンダ ・レジェンド、BMW750i(E32)、ポルシェ911(993)、メルセデス・ベンツE500(W124)、ハマーH2、BMW X6M、キャデラックCT6、メルセデス・ベンツG63など18台ぐらいを乗り継いできたそうだ。「911はパステル・イエローで、帰宅するたびに息子たちに“お父さん、全然似合わない。黄色のポルシェなんて絶対あかんわ”と言われ、1年で手放しました。もし、これまで乗ってきたクルマ全部が新車でズラリと並び、どれか1台を選べと言われたら迷わずE500ですね。15年、25万kmぐらい乗りました。高速走行は安定しているし、小回りは利くし、あれは本当にいいクルマだった」BMW750iを手にしてからはずっと外車、しかもすべて左ハンドルなのだという。「キャデラックを買ったのも左ハンドルだったからです。トランプさんが大統領になったときに、アメリカ車は日本で売れないって言ったんです。なら、自分買うわと(笑)。実は僕、左目がちょっと悪いんです。若い時、喧嘩して下駄で殴られて、左側の視野がちょっとだけ狭い。だから左ハンドルの方がラクなんです」
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