2024.10.31

LIFESTYLE

今なお売上記録を伸ばし続ける「奇跡のカンパネラ」 今年4月に逝去したフジコ・ヘミング その壮絶な人生と唯一無二のピアニズムを振り返る

ピアニストの母、大月投網子とロシア系スウェーデン人画家/建築家ジョスタ・ジョルジ・ヘミングを両親にベルリンに生まれたフジコ・ヘミング

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今年4月に92歳で亡くなったピアニスト、フジコ・ヘミング。その後も未発表音源を収録したCDが発売になるなど、聴き手の心を捉え続けている。波乱万丈の人生、すべてがピアノの音に投影された、彼女の演奏の魅力を改めて伝える。

空前の売上を記録したファースト・アルバム


90歳を過ぎても世界各地で演奏活動を行ったフジコ・ヘミングが4月21日に亡くなった。享年92。長年不自由な聴覚に悩み、ヨーロッパでピアノを教えながら苦難の時代を過ごしてきた彼女は、母の死から2年後の1995年に日本に帰国。その4年後の99年2月、NHKのドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」でその人生と演奏が紹介されるやいなや、フジコ・フィーバーが巻き起こった。番組ではリストの「ラ・カンパネラ」を演奏する感動的なシーンが含まれている。同年夏にリリースされたファースト・アルバム「奇蹟のカンパネラ」は空前の売上を記録し、いまなお更新中だ。

未発表録音のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が登場。2001年来日公演を行ったオリバー・フォン・ドホナーニ指揮チェコ・ナショナル交響楽団との貴重なライヴ(ビクター)。


フジコはウィーンにいた時代に服用した風邪薬が合わず、両耳の聴力を失うアクシデントに見舞われた。その後、左耳だけ40パーセント回復し、亡くなるまで世界各地で演奏した。

「これまでの人生はすべて音楽に通じる道なの。私の人生は苦難の連続だったけど、夢を失わずにひたすら努力すればきっと神さまは手をさしのべてくれる」

フジコの話し方は、演奏と同様に不思議な空気を纏い、聴き手を異次元の世界へといざなう。当初、演奏を批判する評論家も多かったが、「私の演奏をほめてくれるのは心のきれいな人ばかり。そういう人に聴いてもらえればいい。私は機械じゃないんだからさ、まちがえたっていいじゃない」と達観していた。多くの人が聴きたがるのはリストの「ラ・カンパネラ」。リストが敬愛するパガニーニのヴァイオリン協奏曲の「鐘のロンド」に基づいて書いた曲で、フジコの代名詞的な存在だ。リサイタルでもこれをアンコールに弾かないと聴衆は帰れないとまでいわれた。批評は「ぶっ壊れそうな鐘があったっていいじゃない。私の鐘だもの」とかわしていた。

死はまったく恐れていない


2000年以降は、ミュンヘンでの海外録音(リスト&グリーグのピアノ協奏曲)、ニューヨークのカーネギー・ホール・デビュー(シューベルトのピアノ五重奏曲《鱒》ほか)と次々に夢を実現させ、パリ、京都、サンタモニカなどに家をもち、世界各地の聴衆に温かく迎えられた。

「死はまったく恐れていないの。神さまが違う世界へ連れて行ってくれるから。私はそこでまたピアノを弾くからいいのよ」

フジコの演奏はデビュー当初から聴き続けてきたが、年々表現力が深くなり、聴き手の心の内奥に浸透し、涙腺をゆるめる。そんな遺産ともいうべき録音が登場。いずれもゆったりしたテンポに彩られた特有のピアニズム。ピアノに向かう姿が浮かぶようなリアルな演奏ばかりで、唯一無二の音の調べは彼女の語りかけのようで胸が熱くなる。

イングリット・フジコ・ヘミングCD選集。ファースト・アルバムからミュンヘン録音、カーネギー・ホールライヴ、未発表録音まで網羅した5枚組のボックスセット(ビクター)。


文=伊熊よし子(音楽ジャーナリスト)

(ENGINE2024年11月号)

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