2024.12.24

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「ベビーカーの頃からガタガタ道が好きでした」父から受け継いだ初代に乗り続ける高田慧さんのディスカバリー物語【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 episode 3】

高田さんは、4歳のときからこの1994年型のランドローバー・ディスカバリーV8i ESと人生を共にしてきた。

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ディスカバリーの誕生35年周年を祝うアニバーサリー・プログラム「私のディスカバリー ストーリー」。いよいよ3回目の今回が最終回。最後のひとりは初代ディスカバリーを父親から受け継ぎ、親子二代にわたって30年以上も乗り続けている高田慧さんのストーリーを紹介する。

僕が4歳の時に父が買ったクルマ

「オフロードですごく良く走るんです。このサイズの他の四駆に比べてもよく走る。またそういうところを走っているディスカバリーって本当にカッコいいんですよ」

埼玉県の郊外にあるオフロード・コース。足回りを泥だらけにした1994年型のランドローバー・ディスカバリーV8i ESから降りてきた高田慧さんは、愛車の魅力をそう話す。



高田さんの愛車は、1989年にレンジローバーの弟分として登場した、初代ディスカバリーである。

「いわゆるディスカバリー1というモデルですが、マニアの間では丸いヘッドライトに四角いライトカバーのついたマイナーチェンジ前のモデルはディスカバリー・ゼロって言われているんです。その後フロント周りのデザインが変わった1995年モデル以降をシリーズ1って言うんですよ」

なんともマニアックな話だが、それには理由がある。高田さんは親子で30年にわたって乗り続けてきた、生粋のディスカバリー乗りであるからだ。





「僕が4歳の時に父が買ったクルマなので、物心ついた時にはウチにありました。そもそもは、父が海水浴か何かに出かけた時に、浜辺を走る四輪駆動のクルマに興味を持ったのがきっかけだそうです。その後、何台か候補があったようですが、最終的に決め手になったのがキャメル・トロフィーでした」

キャメル・トロフィーは、タバコ・ブランドのキャメルのスポンサードで1980年から2000年にかけて南米やアジア、オセアニアを舞台に行われた伝説のラリー・レイドだ。各国の代表がオフロードの走行はもとより、途中で提示されるダイビングやクライミングなどのタスクをこなし、その合計ポイントで優勝を競うというもので、ランドローバーは1981年からサンドグローに彩られたレンジローバーやランドローバー110などを提供する形でサポート。1990年からはディスカバリーが競技車、サポートカーとして採用されている。





「幼稚園の頃からビデオを見せられていたので(笑)。三輪車で水たまりの中をバシャーンって走って“キャメル・トロフィーごっこ”をするくらい、僕にとっても憧れの存在でした」

購入を決意した時は、ちょうど初代がマイナーチェンジを迎えたタイミングだったのだが、なんとか前期型を見つけ出して購入。以来、イオニアン・ブルーのディスカバリーの助手席は高田さんの定位置になった。

受け継ぐために選んだ進路


「購入してから父がランドローバー・オーナーズ・クラブ・ジャパンに入会したので、伊豆にあったモビリティパークとか、一緒に連れられてよくイベントに行きました。最初の4~5年は綺麗に乗っていた記憶があるのですが、クラブがオフロード遊びを積極的にするところだったこともあり、気づけばクルマがどんどんボコボコになっていきました(笑)」







そういう環境で育ったこともあり、免許を取った高田さんがディスカバリーを引き継ぐのは、ごく自然な成り行きでもあった。

「これが家にあるのが自然だったんで、いずれ乗るだろうなと思っていました。ただ、古いクルマだし、僕が乗るならいじれた方がいいなと思い、高校を卒業して自動車整備の専門学校にいって、整備士の資格を取ったんです」

それだけでも十分に驚く話だが、高田さんはそこである計画を実行に移す。

「自由な学校だったんで、自分で課題を作って何かやっていいよ、ということになり、それじゃあとディスカバリーのATをMTに載せ替えたんです。クルマはMTの方が絶対楽しいですからね」



ところが1つ問題があった。日本にMTが正規輸入されたのは極初期の3.5リッターV8とLT77型ギヤボックスの組み合わせのみ。なんとかLT77ギアボックスの入手に成功し、装着できたのだが、本来3.9リッターV8に付くギヤボックスの型番が異なるうえ、前例のないことだったので、改造申請の書類作りにはかなり骨を折ったそうだ。



「半年ほどかかりましたが、仲間や知り合いの自動車整備工場の協力でなんとか完成しました。そういうこともあったので3.9リッターとLT77の組み合わせは僕のクルマだけだと思っていましたが、先日SNSで同じ仕様のディスカバリーを見つけて知り合いになりました。向こうも日本に1台だけだと思っていたらしいですけど(笑)」



一方で、バンパー下のスカートを外してアンダーガードを装着し、ルーフを白くペイントしている以外、パッと見た限りディスカバリーに大きなモディファイが加えられた形跡はない。実はそれも高田さん親子のこだわりである。

「タンクガード、デフガードは、オフロード遊びをするようになって、比較的すぐに付けたのだと思います。ルーフも父の時代にだんだん塗装のクリアが剥がれてきたので、ランドローバーっぽく塗り分けたものです。父はノーマルの形にこだわりを持っていたので、むやみにインチアップしたり、ウインチつけたりはしないと言ってました。だから基本的にノーマルです。実は3インチほど車高を上げたのですが、サスペンションがヘタって今は普通ぽくなってしまいました(笑)」



“お前はこれを手放しちゃダメだ”


現在、そのオドメーターは13万kmちょっとを刻んでいるが、高田さんが譲り受ける前にコンピューターの不具合で交換した以外は、消耗品を交換する程度で大きなトラブルには見舞われていないそうだ。

「ボディはアルミだから凹んでも錆びたりしないし、中身はほぼ初代レンジローバーと同じなのでパーツの入手も問題ない。本当にノーマルなので純正のセンターデフが付いているだけなのに、オフロードのポテンシャルが凄く高いのには驚くとともに、絶大な安心感があります。調べてみるとキャメル・トロフィーで使ったクルマもウインチやロールバーを入れたりしている以外、インチアップもしていないようなんです。それで、あんな走りができるんだ!っていうのが、ディスカバリーの魅力です。その昔、ディフェンダー110Td5が正規輸入された時、結構ディスカバリーから乗り換える人が出て、父もグラついたようですが(笑)」





しかしながら親子2代、30年にわたって乗り続けてきたことで、色々な人たちとの出会い、ネットワークを広げられたことは、かけがえのない体験だったと高田さんはいう。

「僕のもう1つの趣味が自転車。シクロクロスというロードバイクでオフロードを走る競技をしていたこともあります。そんな自転車のつながりで東京オリンピックの時に、ロードレース、カナダ・代表のマイケル・ウッズ選手の下見のお手伝いをすることになったんです。ツール・ド・フランスで区間優勝するようなすごい選手なんですけど、これに乗ってホテルに迎えに行ったら大ウケして。意気投合して、今もお付き合いが続いてます」



ディスカバリーとは、発見とか冒険といった意味が込められた名前だが、高田さんは親子で、自分たちの手を汚し、様々な経験を積み重ねながら、それを実践して楽しんできた。それはランドローバーを作り出した、ウィルクス兄弟が目指した小型オフローダーの使い道として、最も適切なものと言えるかもしれない。

「冷静に考えると維持は大変だけど、そういう問題じゃない。友人にも“お前はこれを手放しちゃダメだ”って言われます。ベビーカーの頃からガタガタする道が好きだったらしいので、オフロードじゃないと気が済まないんですよ(笑)。これからも乗っていきます。もう手放せないですね」

◆ディスカバリー誕生35周年記念サイト

文=藤原よしお 写真=望月浩彦



(ENGINEWEBオリジナル)

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