日本昔話に出てきそうな……そんな夫妻が第一線から退いて、終の棲家に選んだのが、日本での「田舎暮らし」。幾つかの候補から、八郷に決めた。古くから野菜の有機栽培で知られる地区である。今でも古い民家が多く残っているが、初めて訪れた時に、「日本昔話に出てきそうな古き良き日本の姿」に惹かれたと美佐子さんは話す。もっとも「田舎での暮らしは、別荘の暮らしとは大きく異なり、住人同士が助け合って生きている」ことを岩崎さんは強調する。八郷は、お金を介さない「お手伝い」が地域通貨として流通している、日本でも数少ない地区だ。
二十数年前、二人は偶然地主に巡り合い、この1200坪ある土地を譲り受ける。必要としていた土地よりかなり広いが、この景色は何ものにも代えがたい。持っていた東京都日野市の40坪の土地を手放したところ、おつりが出る価格で手に入れることができた。大学で建築を学び、共同で旅館を設計したこともある岩崎さん。その後関心は都市計画、環境問題に向かったため、手掛けた建物は少ないが建築家でもある。

この家の設計はカンボジアに滞在した時に行ったこともあり、外観は和風だが内部空間は少々エキゾチック。作成したプランは、余裕のあるサイズの美しい家だ。岩崎さんは、住宅は機能を満たすだけでは不十分と考えている。機能を超える美しさがあって、初めて住む者の心が豊かになると思っているのだ。家のサイズも、夫婦二人だけの生活には十分すぎるかもしれないが、それまで暮らした海外の家と比べれば、けっして贅沢ではない。周辺の農家と、同程度の規模だ。
もっとも「清貧」を旨とする岩崎さんである。家を立派にする分、コストを掛けずに、セルフビルドで家作りをすることを選択した。そもそも自分たちが暮らす家を自ら作ることは、自給自足を目指す自身の哲学に合致するものでもある。
岩崎さんが始める家作りに、「面白そうだから」と美佐子さんも加わった。敷地内に簡単な作業小屋を建て、そこで寝泊まりしながら夫婦で家作りを行ったのは「楽しい思い出」だと言う。
建材も地産地消を大工仕事の経験がない二人は、最初は工法も知らなければ、道具すら持っていない。それをひとつひとつ調べながら対応したので、当初の計画よりも大幅に時間がかかった。木材は、地元茨城の杉を選んでいる。杉は、木目が美しい。しかも機械で乾燥させたものでなく、天日で干した材木を使用している。色つやが良く長持ちするのだ。見えない部分の断熱材なども含め、できるだけ天然素材を使うなど、こだわった。
こうして完成した家は、どうみてもセルフビルドとは思えない素晴らしい出来栄え。なかでも玄関から2階に上るホールの美しいこと。どこか異国の寺院のようだ。ちなみに2階にあるのは、二つの展示室。美佐子さんが長年集めてきた民具や玩具などが飾られている。もっともこのスペースだけでは全く足らず、収集品は家のあちこちに飾られ楽しげだ。

岩崎さん夫妻は、朝早く起きた後に運動し、健康のために温水と冷水に交互に浸かる温冷浴を40年以上も続けている。そのおかげもあってか、極めて元気だ。敷地の一部で野菜作りも行いながら、SNSなどで毎日のように情報発信を行っている。87歳の岩崎さんは、さすがに大工仕事はもうしないが、今も近所の住宅の設計を手掛け、朝の8時に軽トラで自ら現場の様子を見に出かけている。
岩崎家には軽トラの他に、岩崎さん用と美佐子さん用に、それぞれ4人乗りのクルマがある。10年間乗ったミニは去年動かなくなり、岩崎さんは日産ノートeパワーに乗り換えた。美佐子さんが17年乗った軽自動車も動かなくなり、一昨年に乗り換えている。クルマの寿命まで乗り続けるのは、いかにも二人らしい。
公共の交通機関など存在しない地域の、丘の上に暮らす岩崎さんにとって、クルマは大切なライフラインだ。「周囲に迷惑を掛けないのであれば、できるだけ長く運転したい」と語る岩崎さん。我々の取材が終わると、「それじゃあ」と、建築途中の現場に向けて、稲枯れの田んぼ道を、軽トラを走らせていった。
文=ジョー スズキ(デザイン・プロデューサー) 写真=田村浩章
■岩崎駿介:1937年東京都生まれ。東京藝術大学建築科卒業後、共同で設計事務所を設立。広島の料亭旅館「石亭」を手掛ける。ガーナの国立大学で建築学の教鞭をとった後、ハーバード大学の大学院で都市デザインを学んで帰国。横浜市の職員として景観デザインを手掛けた。その後、国連勤務を経て、1998年まで筑波大学で教鞭をとる。こうした仕事とは別に、日本最大の国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター」の代表として、市民活動を積極的に展開した。今回紹介している「落日荘」と名付けられた岩崎邸は、2011年、日本建築家協会が選ぶ環境建築賞を受賞。岩崎美佐子:1944年神奈川県生まれ。東京藝術大学工芸科卒業。筑波大学大学院の地域研究科修了。22歳で駿介さんと結婚し、共にアフリカ、アメリカ、東南アジアで暮らす過程で、途上国の現状を知り日本国際ボランティアセンターの活動に加わる。駿介さんが設計し美佐子さんが棟梁を務めた建築に、タイの「こども図書館」がある。
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