2025.10.10

CARS

ランボルギーニの20年を振り返る アヴェンタドールの誕生に関わりカウンタックを蘇らせたチェントロ・スティーレ

20周年を迎えたランボルギーニたちの産まれた場所とは?

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ランボルギーニのチェントロ・スティーレ、すなわちデザイン・センターが、この2025年10月で設立20周年を迎えた。

もともと主流のデザインは社外のスカリオーネやガンディーニによるものだった


それまで、ランボルギーニのデザインといえば社外のデザイナーによるものが主流だった。創設時に発表されたプロトタイプの「350GTV」はフランコ・スカリオーネの作であり、「ミウラ」や「カウンタック」といった象徴的モデルは、ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニの手によるものだ。

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1990年に登場した「ディアブロ」は、当時の親会社だったクライスラーが大幅に手直ししたが、原型はガンディーニが手がけたものだった。





その間、社内デザインがまったく存在しなかったわけではない。1981年に登場したV8モデルの「ジャルパ」は、ガンディーニの作品である「ウラッコ」の流れを汲むが、マセラティから籍を移したジュリオ・アルフィエーリがサンタアガタ・ボロネーゼで生み出したものだし、ブランド初のオフローダーである「LM002」もアルフィエリ作だ。



その後も、2000年に公表されたディアブロの改修版は、アウディから加わったベルギー人デザイナー、リュク・ドンカーヴォルケが手がけた。



2002年にデビューした後継の「ムルシエラゴ」や、さらに2年後のV10モデルである「ガヤルド」と同じデザイナーだ。



アウディはまた、1998年にランボルギーニを傘下に収めると、社内デザイン部門の設立に向けて動いた。2000年代初頭には、グループのデザインを統括していたワルター・デ・シルヴァがインゴルシュタットとサンタアガタの首脳陣に、内部デザイン・センターの設置を提案。イタリアン・スーパーカー・ブランドのDNAを、クリエイティブの独立性と長期出来なデザイン戦略により保護すべきだという考えに基づくもので、ブランド設立40周年にあたる2003年に新設計画が発表された。

そして2005年、ステファン・ヴィンケルマンがCEOに就任すると、デザインやR&D、ブランディング、広告やマーケティングの各部門を統合し、年内にチェントロ・スティーレを発足させたのである。



その本格稼働とほぼ同時期に、ドンカーヴォルケはVWグループ内で、これもアウディ管轄であるセアトへ異動。チェントロ・スティーレの長には、ランボルギーニの外装デザインのトップだったイタリア人のフィリッポ・ペリーニが内部昇格で2006年に就任した。



この頃、デ・シルヴァとドンカーヴォルケのもとで進められていたプロジェクトが続々と具現化、2005年の「コンセプトS」や2006年の「ミウラ・コンセプト」が公開されたほか、ムルシエラゴの改良モデルである「LP640やロードスター」がデビューし、2009年には「LP670-4スーパー・ヴェローチェ」へと発展する。並行して、ガヤルドにも「スパイダー」や「スーパー・レジェーラ」、「ペルフォルマンテ」などが追加されている。

ペリーニと7人の精鋭からなるチームは、その後も精力的に活動し、新たなランボルギーニ・デザインの礎を築く。ムルシエラゴ後継である「アヴェンタドール」は、内製デザインで2011年に誕生。現代に続くデザイン言語の出発点となった。





それは2013年の「ウラカン」や、スーパーSUVを世に問う2012年の「ウルス・コンセプト」へと受け継がれる。



ペリーニ指揮下のチェントロ・スティーレは市販車デザインにとどまらず、新たなアイデアの模索にも力を入れた。2010年の「セスト・エレメント」では、カーボン素材の主成分である炭素の原子番号に由来する車名が示唆するように、カーボンをはじめとする軽量素材の技術を提案。



2013年には限定車の「ヴェネーノ」で、ステルス爆撃機のモチーフを導入するとともに、空力デザインを追求するが、これはのちにアヴェンタドールの「SV」や「J」に採り入れられた。





ほかにも、2008年には「エストーケ」、2014年には「アステリオン」といったコンセプト・カーを製作。ランボルギーニのグランツーリスモのヘリテージを表現し、4座GTやPHEVの可能性を探ったこともあった。



2016年にドイツ人のミィティア・ボルケルトがトップの座に着くと、チェントロ・スティーレは新時代に入る。スタジオのスペースは倍増し、国際色豊かなチームは25名のメンバーを揃えた。



ポルシェから移籍してきたボルケルトは、アヴェンタードールの「S」や「SVJ」、ウラカンの「ペルフォルマンテ」、そして2017年にはいよいよ「ウルス」の完成形を世に送り出す。



電動化への対応も進められた。2017年には、マサチューセッツ工科大学と共同で、コンセプトBEVの「テルツォ・ミッレニオ」を開発。



少量生産車の「シアン」は、カウンタックの系譜に連なるシルエットに、稲妻の名が匂わせるスーパー・キャパシタを用いたハイブリッドを搭載した。このパワートレインはさらに発展し、「カウンタックLPI800-4」に採用。





ランボルギーニのヘリテージと、近未来的パフォーマンスの組み合わせが実現した。

電動化の波は、メイン・ストリームとなるモデルにも押し寄せる。ウルスには高性能版の「ペルフォルマンテ」や発展版の「S」、そして「SE PHEV」を設定。新たなフラッグシップである「レヴエルト」は、ハイ・パフォーマンスEV(HPEV)と呼ぶPHEVとして全面新開発された。



インテリアは、戦闘機のコックピットをモチーフに据えた。この手のテーマは2007年に、ムルシエラゴがベースの限定車で、F-22に着想を得た「レヴェントン」にも用いられたが、現在ではブランド全体に波及している。



そして今年、20年目のチェントロ・スティーレは、HPEV第2弾となるV8ベースの「テメラリオ」のローンチに続き、V12 HPEVの20周年記念車である「フェノメノ」を披露した。



伝統と革新を融合させ、ランボルギーニの進化を牽引してきたチェントロ・スティーレ。次はどんな一手で驚かせてくれるのか、興味は尽きない。

文=関 耕一郎

(ENGINE Webオリジナル)

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