2025.11.23

CARS

「プレリュードに乗っていなかったら、違う人生になっていた」 3代目ホンダ・プレリュードを新車で購入し、30余年後の今も愛用し続ける

3代目ホンダ・プレリュードが奥さんとの結婚のきっかけになったという松沼さん。

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デートカーというジャンルを生み出すきっかけとなったプレリュード。多くの若者がその恩恵に与り、幸せを手にすることができたに違いない。実はここにある3代目もその1台で、今もなお、オーナーに多くの幸せをもたらしている。

25歳で3代目プレリュードを購入しそのまま所有

今年はデートカー誕生だいたい40周年。1980年代に隆盛をきわめたデートカーは、先日のプレリュードの復活で、大いに注目を集めている。



デートカーとはいったい何だったのか。デートカー世代ど真ん中の私は、迷わず「2代目、3代目プレリュードみたいなクルマ」と答える。つまり、そこそこの速さを持つ、先っちょの尖ったカッコいいクーペ(できればリトラクタブル・ヘッドライト)である。スピードと男女交際が豊かさの象徴だった時代の青年たちにとって、完璧にニーズを満たす存在だった。

時代の寵児だった2代目・3代目プレリュードは、現在、絶滅の危機にある。1980年代の国産スポーツカーが、不況下でも根強い需要を保ち続けたのに対して、デートカーはあくまで「走りはそこそこ」だったため、ブームの終焉後、順調に廃車が進み、執筆時点で確認できる流通台数は、全国にわずか2台ずつとなった。超レアものだけに、暴騰したハチロクや32GT-Rあたりより、はるかにお宝感は高い。



今回登場していただいた松沼徳次さんは、3代目プレリュードのオーナーだ。25歳の時に新車で購入し、そのまま所有し続けている。

「選んだ理由は、イチにカタチです。街を走っている姿を見て、これだと思いました」(松沼氏)

それから38年。21万キロを走破した彼のプレリュードは、異様なまでのオーラを放っていた。信じられないくらい低いボンネットの先っちょは、ありえないほど尖っている。クルマは先が尖っているほどカッコよかった時代の、究極のスタイリッシュさである。

リトラクタブル・ライトは2、3代目プレリュードの象徴だが、3代目にはリンクスと呼ばれる固定式ヘッドライト仕様も登場した。

「プレリュードはATでもいいっていう風潮がありましたけど、私は迷わず5段MTを選びました。そのほうがカッコいいですし」(松沼氏)

確かにプレリュードは、あまりにもカッコいいがゆえに、「ATでも許せる」という感覚があった。逆に言うと、当時はまだ「男はマニュアルだろ!」という価値観が濃厚で、そのほうが格上だった。

「デートカーとは言われてましたけど、最初の2年間は助手席が空いてましたから(笑)、ひたすらムダに走り回ってましたねぇ。ミッションをいたわって、いつもダブルクラッチを踏んでました。ヒール&トウは、今でも時々やってますが、最近は下手になってきました(笑)」(松沼氏)



ドラテク重視もまた、80年代の価値観である。松沼氏のプレリュードはABS未装着だが、その理由は「徳大寺さんの本を読んで、そんな装備をつけたら堕落すると思ったので(笑)」。私もそう思っていた。ブレーキングでタイヤがロックしたら自力でペダルを緩めるべし! と。

「ABSは要りませんけど、4WSは最高です。安定感と小回り性がすごく気持ちいいんです」(松沼氏)

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