2026年4月10日から12日までの3日間に、千葉・幕張メッセで開催されていた「オートモビルカウンシル」のホンダブースには、「BULLDOG」と書かれたスーパーワン(5月発売予定の登録車)が展示され、その横に、かつて「BULLDOG」というニックネームで親しまれたシティターボII、そしてモトコンポが並べられていた。現代のモデルと往年の名車を並置することで、ホンダの遊び心と技術的系譜の両方を来場者に強く印象づける構成であった。
トールボーイ
シティは1981年に登場した小型乗用車である。当初のラインアップには乗用仕様のシティと商用仕様のシティプロが用意され、いずれも1.2リッター自然吸気エンジン(67ps)を搭載していた。特徴的であったのは「トールボーイ」と呼ばれる背の高いボディであり、限られた全長の中で室内空間を最大化するという思想が貫かれていた。このパッケージングは、現在の軽トールワゴンにも通じる合理性を備えており、当時としては非常に先進的であったと言える。
荷室に入る原付
さらに特筆すべきは、シティと同時に発売されたモトコンポの存在である。これは折りたたみ式の第一種原動機付自転車、いわゆる原付であり、普通免許で運転可能という利便性を備えていた。ホンダはこの組み合わせにより「4輪+2輪=6輪生活」という新しいモビリティのあり方を提案したのである。モトコンポはハンドルやシートを折りたたむことでコンパクトに収納でき、シティのラゲッジルームに無理なく収まるよう設計されていた。この徹底した一体設計は、単なるオプションを超えたプロダクト思想の表れであった。
余談ではあるが、シティのテレビCMにはイギリスのスカバンド「マッドネス」が起用されていた。彼らが披露する、肩をすぼめてコミカルに歩く“ナッティウォーク”は強烈なインパクトを与え、CM自体も大きな話題となった。当時、日本ではスカという音楽ジャンル自体がまだ一般的ではなく、その新鮮さも相まって、シティの持つ軽快で都会的なイメージを強く印象づける結果となったのである。
ターボとターボII
当初のシティは実用性重視のモデルであったが、1982年にターボエンジンを搭載したスポーツタイプのシティターボ(100ps)が登場し、その性格は大きく変化する。シティターボがホンダの市販車初ターボエンジンとされることもあるが、2カ月前に2輪のCX500ターボが発売されているので、市販車としてはこちらが先。シティターボには電子制御燃料噴射システムPGM-FIも採用された。このPGM-FIも4輪では初採用だが、同じくCX500ターボが先に採用している。
さらに翌1983年にはインタークーラーを装着したシティターボII(110ps)へと進化した。今回の展示車である。当時の自動車業界では、まずインタークーラーを持たないターボ車が登場し、その後短期間でインタークーラー付きへと進化する流れも見られた。インタークーラーは過給された吸入空気を冷却することで密度を高め、結果として充填効率と出力の向上に寄与する重要な装置である。シティターボIIにおいても、この技術的進化が性能向上の鍵となっていた。
ブルドックの愛称
シティターボIIの過給圧は0.85kg/cm²に達し、当時としては最高水準であった。さらに10秒間限定で過給圧を約10%高める「スクランブルブースト」機構まで備え、瞬発力においても際立った性能を誇っていた。ブリスターフェンダーを備えた筋肉質なスタイリングと相まって、その荒々しい走りから「ブルドッグ」という愛称が与えられたのである。
また、シティターボはモータースポーツの世界にも進出している。鈴鹿サーキットではF2レースの前座としてワンメイクレースが開催され、「無限」によってチューニングされた最高出力138馬力のエンジンを搭載したマシンが競い合った。軽量な車体と高出力エンジンの組み合わせにより、レースは非常に迫力あるものとなった。一方で、トールボーイという高い車高は競技においては弱点ともなり、接触時に横転しやすいという特性があった。そのため、激しい接触によるアクシデントも少なくなかったという。

文・写真=諸星陽一 編集=新井一樹
(ENGINE WEBオリジナル)