2026.05.03

CARS

220台超の車両と1万1600人以上の来場者を集めた空冷ポルシェの祭典、ルフト東京をほぼ完全網羅の画像で振り返る 第1弾は356編

空冷ポルシェの原点となったポルシェ356

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去る2026年3月14日(土)に東京・銀座の旧首都高速道路の上で開催された空冷ポルシェの祭典、「LUFT TOKYO」(ルフト東京)。会場となったのは昨年の春に廃線となった東京高速道路KK線で、220台以上の歴代モデルが集まり、約1万1600人が来場した。

ポルシェ・ミュージアム


空冷モデルを中心に多様なポルシェが集結。東京高速道路KK線の上は1日限りとなるポルシェ・ミュージアムの様相を呈していた。今回は展示されていたほぼすべてのモデルを写真で紹介する。まずは空冷ポルシェの原点である356シリーズから見て行こう。


高倉健さんの愛車も


ポルシェの原点だといえる356は30台以上が集結し、プリAから最終進化版のSCまでが揃った。その中には日本を代表する俳優のひとりである高倉 健さんが新車で購入した356 A 1600Sカブリオレや悪役として知られた俳優の八名信夫さんが新車から20年以上にわたって愛用した356 SCもあり、いずれも当時のナンバーのまま展示された。


1948年にその歴史をスタート


ポルシェ博士が初めて自らの名を冠したクルマとしてリリースした「356」のヒストリーは、1948年に発表されたポルシェ 356 No.1 ロードスター(グミュント・ロードスター)からスタートした。

オーストリア・カリンティア地方のグミュントで製造された356の始祖は、ハンドメイドによるアルミ製ボディ、鋼管スペースフレーム・シャシー、ミッドシップ・レイアウトというスペックだった。


グミュントで産声を上げる


このクルマに次いで製作された356の試作2号車(グミュント・クーペもしくは356/2クーペと呼ばれる)は、リアエンジン後輪駆動(RR)というレイアウトを採用。後にポルシェのアイデンティティとなるRR方式がここで確立された。

356の量産はオーストリアのグミュントで開始されたが、手探り状態での生産と販売だったため、後年登場したドイツ・シュトゥットガルト製の356シリーズと明確に区別されている。


シュトゥットガルトへ移管


シュトゥットガルト製356は1950年から生産され、愛好家の間でプリAと呼ばれている。フロントウィンドウがセンターバーで分割された2ピース仕様となっており、ひと目で認識することができる。1952年以降の356のフロントウィンドウは中央部が分かれていない湾曲したシングルピースだ。

1956年にプリAの後継モデルとして、全方位的に進化を遂げた356 Aが登場。車両の改良はテクニカルプログラム1(T1)の一環として行われ、先代から引き継いだ曲面のシングルピース・フロントウィンドウが採用された。1957年3月以降のモデルはテールライトがティアドロップ型となっている。


カレラの誕生も356


356A以降、ハイパフォーマンス・スポーツモデルに“カレラ”の名称が与えられるとともに“フールマン・エンジン”が搭載されるようになった。設計者のエルンスト・フールマンにちなんで名づけられたこのエンジンは、ベベルギアシャフトで駆動される4本のオーバーヘッドカムシャフトと独立した2つのディストリビューターによるデュアルイグニッションを特徴としていた。

356の進化は止まらず、1960年に356 Aの後継モデルである完全に新しく設計された356B(T5)がリリースされ、ボディの各部が変更された。エクステリアの大きな特徴のひとつが大型化されたリムガード付のフロントバンパーで、356B(T5)では先代モデルと比べて約10cm高く設定。同時にヘッドライトもより高い位置に取り付けられた。


累計生産台数は7万9000台以上


1964年モデルに356Bに代わって356Cが登場し、ディスクブレーキが標準装備となった。外観上では、BシリーズとCシリーズに大きな違いはない。

最後に生産されたポルシェ 356Cは、1966年5月にデリバリーされたといわれている。356シリーズの累計生産台数は7万9000台以上であった。

文=高桑秀典 写真・編集=新井一樹

(ENGINE WEBオリジナル)
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