金魚や錦鯉を使った新しいアート作品「アートアクアリウム」のアーティストとしてその名を馳せる木村英智さん。けれども我々クルマ好きにとっては「コンコルソ・デレガンツァ京都」をはじめとするヴィンテージ・カー・イベントの仕掛人、という印象のほうが先にたつ。さらにフェラーリ好きの間では、20年以上続いている老舗のクラブ、OLF(オン・ライン・フェラリスタ)の代表“ロイス木村さん”と、何はともあれ木村さんといえば大の跳ね馬好きというイメージも強いのだった。そんなわけだったから、木村さんが本誌名物企画にマセラティ2台持ちとして登場すると聞き、“フェラーリじゃないんですか?”と、少々肩すかしをくらった気分にもなった。
「いやぁ、実をいうとね、ボクのクルマ趣味ってそもそもマセラティからスタートしているんですよ」若い頃はバイクの走り屋だったという木村さん。目を悪くしたのがきっかけでクルマの世界に転向した。ある時、マセラティ222SRに出会ってヒトメボレしてしまう。「インテリアの仕立てが、ボクにとってはいつも大事なポイントなんです。マセラティはレザーとかウッドの使い方がとても上手なブランドでしょう? それを見て、イタリア車って凄いなと思うようになった」以来、シャマルやギブリカップ、スパイダーザガート、クワトロポルテといった80年代以降のマセラティを何台も乗り継ぎ、現在でもそのうちの何台かを所有されているらしいのだが、今回、本企画用に用意してもらったのはもっと古いお宝中のお宝だった。
坂の上のガレーヂ
神奈川県某所。クラッチミートの難しいクラシック・カーやアゴの低いスーパーカーでは絶対にそれ以上進みたくなくなるような坂を上りきったところに、木村さんのガレーヂはあった。開け放たれたガレーヂのなかに佇む2台のヴィンテージ・マセラティが神々しく輝いてみえていた。正に究極のマセラティ2台持ち。GTとコンペティション、エレガンスとレーシング。マセラティ史の両翼を体現するというにふさわしいコレクションである。
まずはシャンパン・ゴールドとメタル・メッキパーツとのコントラストが美しい1962年式のマセラティ3500GTトゥーリングをじっくりと拝見するとしよう。5年前のペブルビーチ(夏のモントレー・カー・ウィーク)で開催されたオークションで手に入れた。ちょうどその年、アメリカで最も有名なマセラティ・コレクターのひとりが自身の60年代コレクションを一挙に放出した。オークション会場には同年代のマセラティが数台並んでいたことを筆者もよく覚えている。
「これもヒトメボレだったんです。色といい佇まいといい、ホントに良いなぁ、と。舐め回すように見ていたら、現場にいたアメリカのマセラティ・クラブの会長が、このクルマについて色々教えてくれたんです」なんと50年代を代表する歌手で俳優のエディ・フィッシャーが当時妻であった世界的女優のエリザベス・テイラーに贈ったクルマそのものだという。「よく似た色でフェラーリのグリジオ・イングリッドってあるじゃないですか。ロベルト・ロッセリーニがイングリッド・バーグマンへ薄金色のフェラーリにリボンを掛けて贈ったという話に、フィッシャーも触発されたんじゃないか? なんて勝手に想像しちゃうんですけどねぇ」
クラシック・カーの価値を決めるひとつの要素に、その個体に秘められた物語や歴史がある。誰が最初に買ったのか、誰がレストアしたのか、レース・カーであれば誰が駆って戦歴はどうだったか、などが重視されるのだ。マセラティを贈られたリズは、結局、フィッシャーとは離婚し、俳優のリチャード・バートンと再婚するわけだが、彼らの不倫は映画「クレオパトラ」での共演がきっかけで、クランクインは60年、公開が63年だったというから、62年式のマセラティをリズに贈ったフィッシャーの気持ちが何となく偲ばれるようで切ない気持ちにもなる。
「このクルマはその後、俳優のアンソニー・クインが引き継ぐんです。当時のハリウッドを代表する俳優や歌手といったセレブリティ3人の名前がこの個体の歴史には刻まれています。正にエレガントの代表のような存在なのですが、ボクとしてはその歴史を別にしても、とにかく欲しかった。ちょうどコンクールに出せるようなクルマを探していたこともありますし、カロッツェリア・トゥーリング製ボディをもったクルマを過去に所有したこともなかったのでいつかは手に入れたいと思っていましたから」そのままコンクールに出せるほどのパーフェクト・コンディション(買ってから一切手を入れる必要がなかった)。エンジンも一発で始動する。当然、オークションでも注目の1台となり、競りは予想以上に白熱した。
「自分の上限は決めていました。ところがみるみる競り上がって、ついに上限を超えた。でも手に入れるなら今がラスト・チャンスだと思っていましたし、何より誰にも譲れないという気持ちにもなっていました」上限価格を一段階超えた(オークションでは通常、上げ幅の単位が出品車ごとに決められる)ところで木村さんが応札すると、それがハンマー・プライスに。カロッツェリア・トゥーリング製ボディの3500GTを見事に落札したのだった。「上限を少し超えた金額で落札できたのは、クルマがボクの所有する覚悟を試したのかも知れません」
堺正章さんから譲られたバルケッタ
もう1台のレーシング・カー然とした青いバルケッタ(小型オープンカー)は、実をいうとマセラティ・ブランドではない。ボローニャのオスカが1953年に生産したMT4フルアスパイダー(#1135)である。ヴィンテイージ・カー・マニア垂涎の1台だ。トライデント・ファンにはよく知られている通り、マセラティ3兄弟がマセラティ社をオルシ家に売却したちょうど10年後(彼らは10年間、オルシのマセラティ社に在籍する義務があった)の1947年に改めてボローニャ県で立ち上げたスポーツカー・ブランドがオスカだった。
「マセラティ好きならば、当然、オスカは憧れのブランドなんですよ。けれども正直、人気のオスカってあまりに高嶺の華過ぎて、それを買うために頑張ろうとか、考えたことなんてまるでなかったんです。オスカを買えるくらいの予算があれば、他の選択肢だって見えてきますから。ところがあるとき、懇意にさせてもらっている堺正章さんから連絡があって、彼のMT4を譲ってもいいという話になったんです」なんでも堺さんからは常々、こんなことを言われていたらしい。
“木村君、キミのパーソナリティはなかなか良い。アーティストでもあり、クラシック・カー好きでもある。特別な生き方をしている人だと思う。けれども、キミの愛車たちはあまりにマニアック過ぎるんじゃないか。珍車好きもいいけれど、そろそろ王道を知りなさい”と。木村さんはシアタ・ペスカーラ500という可愛らしいバルケッタでクラシック・カー・ラリーなどに出場していた。味わい深いクルマだけれどもメジャーモデルではない。「メジャーなクルマに乗って、世の中に出て行く時期なんじゃないの?と堺さんは仰るわけです。それで、ボクにMT4を買わないか、と。引き継いでくれるなら買った値段でいいよ、とまで言っていただいて。もう分かりました、というしかありません(笑)」
物語はそれだけでは終わらなかった。MT4を譲り受けた木村さん、ちょうど18年夏のペブルビーチ・コンクールにおけるテーマのひとつにオスカがノミネートされていることを知って、当然エントリーした。さらに、せっかくオスカMT4を持っているのだからと、5月に開催されるイタリア本国のミッレミリアにもエントリーしたのだ。そのとき、このMT4は堺さんから譲り受けた赤いボディのままだった。「雨の峠道で(同じ年代の)メルセデスの300SLあたりとやり合ったんですよ。そしたらスピンしてしまって。土手に並行しながら何回転かしたあと、草むらに半分落ちる感じで止まった。幸いにも動く状態だったので、完走はできたのですが」
問題は8月に迫ったペブルビーチのコンクールだ。何とかクルマを修復してアメリカに送り出したい。木村さんは絶対に出展するつもりだった。レースに帯同していたメカニックもまたオスカのプロだったから、そのまま彼に修理を頼み込んだ。「そうこうするうちに、アルファロメオのコレクターとして世界的に有名なコッラード・ロプレストから連絡が来たんです。あのオスカをボディ修理だけでペブルビーチのコンクールに出すって本気なのか?ってね。ボクの立場(筆者注:おそらく日本のメジャーなコンクール主催者ということ)を考えたら、ただ参加するだけじゃダメだ、と。勝てるクルマじゃないと出たって意味がない。だからオレに預けろ、って言うんです」ロプレストは世界のコンクールで60回以上の総合優勝(ベストショー)を獲得してきたコレクター中のコレクターだ。ペブルビーチでも7度の入賞歴がある。そんな男が木村さんのMT4を問答無用で引き上げていった。
「ロプレストが引き上げてから、1カ月もしないうちに、たった2台しか造られなかったフルア製ボディで、元々はアメリカでレースをしていた個体であり、ビル・デイビッドというパイロットが駆っていろんなレースで勝っている、なんてことが次々と分かってきたんです」木村さんはコッラードとドゥッチオのロプレスト親子に全てを託した。ロプレスト家には斯界ではとにかく有名な専属のレストアチームがあったし、何より、彼らの名声はクラシック・カー界に鳴り響いていた。
「8月にペブルビーチを訪れるまで、ボクは自分のオスカがどのように仕上がっているのか、全然知らされていなかったんです。現場でロプレストさんたちがアンベールしてくれたんですが、驚きました。これがホントにオレのクルマなの?って」ボディは青く塗られていた。白いストライプとノーズの塗り分けがとてもユニークだ。実はこのデザイン、ビル・デイビッドの愛機(飛行機の方だ)と同じモチーフらしい。ミッレミリアでの事故がなければ、赤いクルマのまま今もここにあったはずだ。そういう意味ではこれもまた奇跡。語り継がれる物語であろう。残念ながらペブルビーチではエンジン周りのパーツが一部オリジナルでないということで入賞を逃したが、すでにそのパーツも揃った。「もう一度、チャレンジしたいですよね」と、木村さんは静かに語った。
文=西川 淳 写真=茂呂幸正
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(ENGINE2019年3月号)
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