2019.07.29

LIFESTYLE

愛車はスカイラインS54B 新作『ノースライト』を発表した横山秀夫さんインタビュー

作家の横山秀夫さんが『64』から6年ぶりとなる長編小説、『ノースライト』を発表した。失踪した家族をめぐる驚きのミステリーは、いかにして生まれたのか? 横山さんに作品が完成するまでの経緯や、愛車のスカイラインなどについて話を伺った。

「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」

2人の子供を持つ40歳前後の夫婦から、家の設計を任された建築士の青瀬。好きな家を建てて欲しいという珍しい依頼に奮起した彼は、浅間山を望む信濃追分の地に、柔らかな北の光が差し込む『Y邸』を完成させる。その家は夫婦に喜ばれ、建築雑誌に掲載されるほどの高い評価を得た。だが完成から数カ月後、現地を訪ねてみると、引っ越したはずの家族の姿はどこにも見当たらない。家の中に残されていたのは電話機と、ドイツの建築家、ブルーノ・タウトの作品と思しき一脚の椅子だけ。幸せそうに見えた4人の家族はどこに消えてしまったのか……。


横山秀夫さんの長編小説『ノースライト』は、冒頭から意表を突く展開で読者の心を鷲掴みにし、最後まで離さない。だがご本人によれば完成までの道のりは険しく、本の発売までに十数年の歳月を要したという。


「もともとこの作品は雑誌『旅』の連載として2004年に書き始めたものです。あの頃は、自宅とは別にマンションの一室を仕事場として借りていたんですが、睡眠時間は3、4時間、年に十数回しか自宅に帰れないほど忙しく、この部屋が“終の棲家”になってしまうのではないかと思うほど苦しい状態が続いていました。そんな時に連載の話をいただき、何か人生の旅情のような話を書いてみたいと思ったんです。同時に人間にとって家とは何なのか、住むとはどういうことなのか、といったことも改めて考えてみました」


とはいえ心身ともに疲弊した状態で始めた連載は、2年で完結はさせたものの不本意な出来栄えに。いつかは書き直してみたいと思いながら、ようやく着手できたのは『64』を発表した後のことである。


「この作品だけは絶対に世に出したいという気持ちで始めてみたものの、手を加える程度ではどうにもならないことが分かりました。覚悟を決めて全面改稿しましたので、連載時の文章は1割も残っていません」


十数年の歳月の末に完成した横山秀夫さんの『ノースライト』(新潮社刊)。社会派小説の名手による一級のヒューマン・ミステリーだ。


北から差し込む優しい光

こうして完成した『ノースライト』は、一見、無関係な物語が意外な接点で結ばれていく、作家・横山秀夫ならではの重層的な人間ドラマだ。要となるのは2人の男。バブル崩壊後に自分を見失い、妻とも離婚した主人公の青瀬と、自ら経営する小さな建築事務所の将来を賭けてコンペに打ってでるものの、贈賄疑惑をかけられ窮地に追い込まれてしまう青瀬の上司、岡嶋である。


「建築士を主人公に据えたのは初めてですが、登場人物に強い負荷をかけて物語を展開させる手法は、これまでの私の小説と同じです。実際に建築士に取材をしてみると、彼ら多くが施主から求められていることと、本当にやりたいことの間に大きなギャップを感じていた。経済活動に伴う悲哀を囲った人々というのは、まさに私が小説に書いてみたい人々でもありましたからね」


本作は人生と格闘する男たちの、喪失と葛藤の物語でもある。社会や組織から追い詰められた人間を見守る、優しい目線は横山作品の特徴のひとつだが、それを今回、象徴的に表しているのが北の光、つまり“ノースライト”だ。


「辞書にはない言葉ですが、昔から自然な光を求めて、アトリエに北向きの窓を設ける画家は多かったそうです。やはり弱っている人には、南や東の光は強すぎる。人の背中を優しく押してあげるには、北の光くらいがちょうどいいと思ったんです」


一方、本作で一家失踪の謎を解き明かす重要なカギが、ブルーノ・タウトの作品と思しき椅子である。戦前、ナチス・ドイツの迫害から逃れるために来日していたタウトと、失踪した一家との間にどんなつながりがあるのか? 行間に隠されていた両者のつながりが明らかになる瞬間は、まさに鳥肌が立つほどのカタルシスを味わわせてくれる。


「やはり自分にはミステリー作家であるという強い自覚があります。私にとってのミステリーとは、自分以外の人間が、実は自分とは違う人間だったという真実にたどり着くまでの過程を描いた物語。当たり前のことのように思われるかもしれませんが、人は往々にして自分の中にある物差しで他人を測り、その人も自分と同じ考えで動いていると思いこんでしまう。それが間違いだったと分かる瞬間こそが、ミステリーを読む醍醐味ではないでしょうか」


愛車のスカイラインS54B

そんな横山さんに3年前、嬉しい知らせがもたらされた。英語版の『64』が、英国推理作家協会賞の翻訳部門で最終候補に選ばれたのだ。さらに今年1月には「ドイツ・ミステリー大賞2019」の国際部門でも第1位に。日本のミステリーは欧米では受けないという定説を覆し、世界各地で絶賛の声があがっている。


「私の小説は日本人の作品の中でも、組織と個人の相克を強く描いたものです。なので個人主義が進んだ欧米社会で『64』が評価されたのは意外でした。この春も北欧でトークショーを行ったんですが、地元の方たちからは、自分たちにも組織と個人の関係性に対する思いはある、底流では日本のみなさんとつながっているんだ、と言われました。私はこれまで日本的なものの中で普遍性を追い求めてきたんですが、もし私の思いが通じるのであれば、これからは人類にとっての普遍を見つめ直し、新たに作品を書いていきたいですね」


そんな横山さんが仕事以外で熱中しているものが2つある。そのひとつが家の庭いじり。


「最初は雑草を抜いていただけだったのが、10年ほど前から次第に手を掛けるようになりました。自分で植えた山野草が春に芽吹くと、それだけで奇跡だ、と感じますよ。どれだけ時間をかけても完成することがないのが、庭の魅力でしょうか」


そしてもうひとつが、7年前に購入したスカイラインGT(S54B)だ。1964年の第2回日本グランプリでポルシェを一周だけ追い抜いた伝説のヴィンテージカーの同型車である。購入時はボロボロだったものを、何とか走れるようにレストアしてもらったそうだが、「若い頃は新車を乗り継いできましたが、徐々に古いクルマに興味を持つようになりました。普段の足車はスマートですが、スカイラインで時折、高速を走ることもあります。でも実際は、家の駐車場でエンジンをかけるだけのことが多いですね」


ちなみに『ノースライト』には、美しいものを創造することを「埋めても埋めてもまだ足りないものを、ひたすら埋めていく終わりなき作業」と表現する場面がある。この感覚はまさに、人の生き方にも当てはまるのではないか、と横山さんは話す。


「昔は世の中のことが何でも分かったような気になっていたんですが、歳を重ねるにつれ、実は何も分かっていないことに気がついた。自分が不完全な人間であることを自覚すればするほど、足りないものだらけのクルマや、完成することのない庭にどんどん愛着が湧くようになる。足りないものがいっぱいあるというのは愛おしいことですね」


■作家:横山秀夫 1957年東京生まれ。新聞記者、フリーライターを経て、1998年『陰の季節』で松本清張賞を受賞して作家デビュー。代表作に『半落ち』、『第三の時効』、『クライマーズ・ハイ』、『看守眼』など。2012年刊行の『64』は各種ベストテンを席巻した。


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文=永野正雄(ENGINE編集部) 写真=田村浩章

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