1970年のロンドン。F1レーサーを目指しながらタクシー運転手として生計を立てていた27歳のエミリオ・ダレッサンドロは、ある雪の晩、男根の形をした巨大なオブジェの運搬を依頼される。届け先は市内の撮影スタジオ。依頼主は『時計じかけのオレンジ』を撮影していた当時42歳のスタンリー・キューブリックだった……。
この仕事をきっかけにキューブリックの専属ドライバーとなったエミリオ。以降、30年に及ぶ2人の歩みを綴ったドキュメンタリーが『キューブリックに愛された男』である。仕事の現場では、偏執的なまでの完璧主義者として周りから畏怖されたキューブリック。プライベートにおいても、メモや電話でひっきりなしに与えられるエミリオへの指示は細かく、運転手として雇われたはずの彼の仕事は、オフィスの管理や清掃、食材の買い出し、邸宅に迷い込んだ動物の世話までと果てしなく続く。結果、カー・レーサーになる夢も断念せざるを得なくなる。
だがエミリオに対する監督の言葉は暖かく、時には仕事を超えた親愛の情すら感じられる。気難し屋との印象が強いキューブリックだが、映画にはほとんど関心のなかったエミリオは、逆に心休まる存在だったのかもしれない。
一方『キューブリックに魅せられた男』の主人公、レオン・ヴィターリの人生はより苛烈だ。26歳で『バリー・リンドン』に出演した彼は、キューブリックの映画製作に関わり続けたいという思いから、前途洋々だった役者のキャリアを捨て、裏方の道を選ぶ。
『シャイニング』から念願の現場助手となった彼は、次第にキューブリックの手足となり、キャスティングや演技指導、フィルムの管理、さらには世界中の予告編のチェックなど、ありとあらゆる仕事を任されるようになる。
だがその仕事は過酷だったにもかかわらず、周囲からは疎まれ、キューブリックからの叱責も当たり前になっていく。本人は自らをフィルムワーカーと呼ぶが、何の名声や富を得ることもなく、偉大な監督のために24時間働き続ける姿は、助手というより奉公人に近い印象を残す。
キューブリックが求めたのは、あらゆる要求を無条件で受け入れ、全力で遂行するスタッフたち。その無理難題に応えたのがエミリオとレオンだった。そんな彼らの人生は、本当に幸せなものだったのか?監督との思い出を語る2人の姿を見る限り、そこに後悔の念はない。
文=永野正雄(ENGINE編集部)
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