短いノーズのなかにぎゅうぎゅうに押し込まれたエンジンに火が入った瞬間、テールエンドの太鼓の中で排気の脈動が踊り始めた。いかにもタダモノではないことを伝えてくる。軽自動車とさして変わらないキュートなボディに180㎰の強心臓。アバルト595のコンペティツィオーネは、シリーズ随一のツワモノだ。 背中にがしっとした硬い感触を伝えてくるシートは、サベルト社謹製のハイバック・バケット式。体側と大腿部を支える大きな張り出しは、がっちりとした体躯の持ち主をもやすやすと抱きかかえるサイズを持った立派なものだ。アルミ製の大きな真球を頂くシフトノブは、スルッ、スルッと軽く動かせる。高めのヒップポイントに合わせてチルト・コラムを調整すれば、準備万端。シートベルトを締めると、いざ出陣という気持ちが高ぶってくる。
タイトな空間に3つのペダルを並べたフットウェル。けれど、クラッチペダルの左側には小さいながらも気の利いたフットレストが設けてある。幅の広い靴でも履いて無造作にペダルを扱えば、2つ同時に踏んでしまいかねない空間のなかに、それでもフットレストを用意するところが、いかにもアバルトだと言うべきだろう。これがあるとないとでは大違いだということを、開発部隊の腕っこきはよくよく承知している。これなら、わざわざ左ハンドル仕様を選ぶこともない。クラッチのミートポイントもあわせやすい。とくに気を使うことなくすいっと走り出す。よく響く排気音が心地いい。
変速機は5段。狭いエンジン・ベイに6段型を押し込むのは難しいのだろう。最高速度が225㎞/hにも達する595コンペティツィオーネだから、それを5段でまかなう以上、各ギアのステップ・アップ比は大きめだけれど、なにせパワーに余裕がある。シフトアップで少々回転が落ち込もうが何するものぞの頼もしさ。重装備で1.1tになったボディを軽々と泳がせる。街なかではまさにミズスマシのように軽快だ。気難しさは皆無だから、MTさえ扱えれば誰でも気軽に動かせるはずだ。
しかし、その秘めたポテンシャルを根こそぎ引き出そうとすれば、話は別だ。前後とも四肢を張り出して、トレッド寸法こそ1.4mを確保してあるものの、ホイールベースは軽自動車よりも短い2.3m。そこにターボ過給が炸裂する180㎰だから、御し切るにはスーパー・スポーツカーを扱う以上に神経を研ぎ澄ましておかなければならない。漲るパワーを野放図に解き放てば、やっかいなことになりかねない。スポーツ・モードを選べばオーバーブーストのロックが解除されて、引き出せるトルクはさらに増すから要注意だ。その気配りさえ忘れなければ、弾けんばかりにダッシュを決めるこの暴れ馬は、思わず笑っちゃうほどの韋駄天ぶりを見せ付けて楽しませてくれる。
まるで眼前の空間に吸い込まれるかのような加速感は、パワフルなスポーツカーもかくやのそれだ。高速域でも衰えをみせることがない。 山岳路へ分け入って鞭をいれようものなら、まさにクルマとの格闘。前輪のグリップは容易には失われないが、いい気になって無理をすれば、LSDを持たない前輪は、その能力を削がれてしまう。トルクステアはよく抑え込まれているとはいうものの、脱兎のごとき立ち上がり加速を望むなら、逸る気持ちを抑えるこらえ性も必要になってくる。操縦する者をけしかける強力なドライブ力を持ったアバルトの実力を引き出すには、クルマを御する前に、己を御さねばならないのである。
文=齋藤浩之(ENGINE編集部) 写真=郡 大二郎
アバルト 595コンペティツィオーネ /ABARTH 595 Competizione
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