誰が見てもポルシェと見紛うことのない、あの独特のスタイルはいかにして生み出されるのか。日本人デザイナーの山下周一氏に、ポルシェのデザインの秘密を解き明かす連載をお願いすることにした。今回はそのプロローグをお届けする。
その夏はとても暑かった。まだ初夏だというのにドイツらしくない蒸し暑さの日に、私たち家族はシュトゥットガルト空港に降り立った。不安そうな表情の妻とまだ幼い娘と息子を連れてチーフ・デザイナーの迎えを受けた私は、レンタカーを借りると、アウトバーンを走る彼の911の後を必死についていった。2006年6月、今でも忘れないのは、その年のドイツがワールドカップ開催で盛り上がっていたことと、とにかく暑かったことだ。こうして私のポルシェでの新しい生活が始まった。
そもそも、ポルシェをデザインすることが、カー・デザイナーとしての私の目標だったわけではない。カー・デザイナーという職業があるのを知り、クルマのデザインをしてみたいと思ったのが、この道に足を踏み入れた始まりである。アートセンターという自動車デザインを教える学校がアメリカにあることを聞き、そこに行くために英語の勉強を始め、渡米した。何とか入学して、卒業。いくつかの自動車会社に勤めて、シュトゥットガルトにやってくるまでに18年が過ぎていた。その間、頭の片隅にはいつもポルシェという会社があった。
ポルシェのスポーツカーを所有するどころか運転経験さえなかったのに、ただ漠然と頭の中にあり続けていたのだ。大好きなバウハウスに代表されるモダン・デザイン、〝Form Follows Function〟という言葉をそのまま体現したようなそのスタイリング、揺るぎなきブランド・イメージなどが、いつの間にか自分の理想像として頭の中に築き上げられていたような気がする。
私の勤務地となるヴァイザッハ研究開発センターは、シュトゥットガルトから西に 30km程の場所にある。夏になるとプーンと牛の糞の臭いが漂ってくるような、それこそ周りは田んぼと畑だけの田舎だが、すべてのポルシェはここで開発される。ル・ マンに復帰して3連覇を果たしたレーシング・カーの919もそうだ。
スタイル・ポルシェは、このヴァイザッハ研究開発センターの一画にある。今でこそ2014年に完成した新しいスタイリング・センターで伸び伸びと仕事をしているが、入社した時点では、まだ古い建物の中にあった。スタイル・ポルシェは、1972年にヴァイザッハ研究開発センターがオープンして以来、ずっとそのシックスカンテというドイツ語で六角形という意味のビルの片隅にあったのだ。わずか2、3車種のみを開発していた時代から約40年間、最盛期には5車種以上をその場所で開発していたのである。
そこがいかに手狭であったか。ひどい時には自分の机の目の前を切削用ミリング・ マシーンのアームが横切り、そのアームを避けるためにリンボー・ダンスの様に体を反らしながら移動することもあったといえば、わかっていただけるだろう。現在のチーフ・デザイナー、マイケル・マウアーの尽力により、私たちはその狭い空間から解放され、現在の素晴らしい環境で仕事ができるようになったのだ。
ここでひとつ注意しておきたいのは、「ポルシェ・デザイン」と「スタイル・ポルシェ」は全く別の組織だということだ。ポルシェ・デザインというのは911をデザインしたアレクサンダー・ポルシェが、ポルシェを去ったのちに生まれ故郷オーストリアのサラムゼーに設立したプロダクト・デザインを中心としたデザイン事務所である。一方、スタイル・ポルシェとは、ヴァイザッハ研究所内にありポルシェ車のスタイリ ングを担当する部署である。全く関係が無いとは言わないが、組織として別であることを言っておきたい。
私が配属された部署は、スタジオ4というエクステリア担当のスタジオだった。ここにほとんどのエクステリア・デザイナーたちが集まっている。ドイツ人をはじめとして、アメリカ人、イギリス人、トルコ人、ハンガリー人、中国人、そして私。小さなスタジオにしては、国際色豊かなスタジオといえよう。その他インテリア・スタジオ、カラー&トリム・スタジオと、他社と変わりない構成となる。
こうして始まったポルシェでの新しい生活。幸運にも最初に与えられたプロジェクトは、コード・ネーム991、当時としては次期型だった現在の911のエクステリアをデザインする仕事だった。カレラもしくはノインエルフ・エルバ。社内で911をそう呼ぶ。ポルシェで911のデザインに携わる。これほどカー・デザイナー冥利につきる仕事はないだろう。サッカーでいうならマンチェスター・ユナイテッド、野球で言うならニューヨーク・ヤンキースで、フォワードや4番打者として出場するようなものか。むろん私が香川選手や松井選手のような才能を持っていたという意味ではないけれど。
そもそも、911のデザインの仕事が与えられたと言っても、決して任されたということでは無い。むしろ、ここからが始まりである。ほぼすべてのエクステリア・デザイナーが参加して、大袈裟に言えば血で血を洗うようなコンペティションが始まるのである。ご存知ない方もおられると思うが、基本的にポルシェにおけるデザインはコンペティションにより選抜される。いくつかの段階を経て、より良いアイデア、デザイ ンを提案したものが最後に一人だけ勝ち残る。Winner takes it all である。 血で血を洗うと言ったのはそういう意味である。
誰もが、自分の作品こそ1番であると信じてスケッチを描き、モデルを作り、プレゼンする。聞いた話であるが、その昔、他社のスタジオでは、それこそ他のモデルを壊したり、スケッチをはがしたりといった、あからさまな妨害もあったと聞く。幸い、ポルシェにおいてはそんなことはない。ただただ静かに、激烈なコンペティションが繰り広げられるのだ。
通常、エクステリアのプロジェクトが始まる場合、キックオフと呼ばれるミーティングが行われ、そこで大まかなパッケージのインフォメーションや、空力の目標が発表される。それに基づいてデザイナーたちはしばらくの間、自分のイメージを膨らませ、未来の911を想像しながらスケッチを描きまくる。新しくデザインを始めるにあたってデザイナー達はそれまでのヘリテージとしてのポルシェを考察し直し、新たなポルシェ像を創り出す。ポルシェとして決して過去との繋がりを絶つことなく、尊重しつつ進化させていくのだ。ある者は繊細に、ある者は大胆に。プロジェクト開始当初、私たちのボス、マウアーが言っていた言葉を思い出す。「我々は今から歴史を作るのだ」と。
彼はいつも「デザインには大切な要素が3つある」と言う。「それはまず第1にプロポーション、第2にプロポーション、そして最後にプロポーション」。つまり、プロポーションこそがすべてだと言うのだ。これを社内で理解してもらうためによく人体にたとえてプレゼンする。先ずは裸の人間をデザインする。身長、手の長さ、足の長さ、頭の大きさ、筋肉のつき方などを決めることだと思ってもらえば良い。そしてそこに衣類を着せ、最後にアクセサリーをつけて完成。
すなわち、ベースの人間が美しくカッコよくないと、どんな高価な衣類(様々なスタイリング・エレメント)を着せようが、装飾品(ディテール)をつけようが、良いデザインにならないというロジックである。なるほど、そういう目で見てみると、決して美人、あるいはハンサムというわけでもないのにやたらかっこいい人、何を着ても似合う人は確かに存在する。プロポーションとは、それほどデザインにとって重要なのである。
私がスケッチを描き始めた当初、よく言われたことがある。「スーイチ(シュウイチとなかなか発音してもらえない)、ポルシェはもっと直線基調だぞ。お前のポルシェは丸すぎる」。私の描く絵は、どこかフワッとしていてあまりポルシェに見えなかったらしい。イメージとしての911は確かに丸い目でなだらかなルーフ・ラインを持ちヘッド・ライトの外形をなぞるフロント・フェンダーの断面などは、どこかフワッとしている印象だが、実際のボディ断面、ベルト・ライン、フロント、リアのグラフィック処理などは直線基調の仕上がりとなっている。つまりは、ドイツ・バウハウス・デザインである。機能がフォルムをつくる。機能美の極みこそが911なのだ。
スケッチ・フェイズと呼ばれる段階に入ると、定期的にチーフおよびマネージャーによるレビューが行われる。自分のアイデアを売り込み上司の反応を見るいい機会である。ここで大体自分の方向性が良いか悪いかなんとなく判断できる。自分のスケッチに対する反応が悪ければもっと斬新で新鮮なアイデアを出す必要があるし、反応が良ければその方向でもっと精錬させていくといった具合である。口に出さずとも何となくわかるものだ。
次に選ばれたスケッチについて、今でこそほとんど見かけなくなったテープ・ドローイングが作られる。クレイ・モデルをつくる前に、モデル用のガイドとして3分の1の大きさでサイド、フロント、リアのいわゆる線画をつくる。自分のイメージやテーマを実際のクルマのプロポーションとして落とし込むので、結構難しい。線画と言っても様々な太さの黒いテープを使い、情感溢れる個性豊かなテープ・ドローイングが出来上がる。ドローイングというよりテープを使ったアートである。そういえばポルシェには昔テープ・ドローイングの天才がいた。その話はまたの機会にとっておこう。
クルマのデザインにおいての醍醐味は、やはりクレイ・モデルづくりであろう。熱で柔らかくなる工業用粘土を使ってクルマのカタチをつくることを言う。それまで2次元だったものを、ついに3次元に展開するのだから面白くないわけがない。そして、思ってもいなかったことが起きるのもこの段階である。ほかのデザイナーも近くでモデルをつくっているので、いやがおうにもそれが目に入ってくる。カッコ良ければ悔しいし、普通だとホッとひと安心したりする。辛くも楽しいひとときである。ポルシェでは通常、原寸の3分の1スケールのモデルをつくる。それには理由があって、まず原寸に起こした時にプロポーションの破綻が少ないこと、ディテールのつくり込 みが可能なこと、ある程度、運搬に適していることなどが挙げられる。
クレイ・モデルづくりはクレイ・モデラーとの共同作業である。デザイン、スタイリングの良し悪しはほとんど彼らの腕にかかっている。ポルシェのモデラーには、イギリス人もいるが大半がドイツ人である。日本人はほとんどいない。私は何とかドイツに早く慣れようと、なるべくドイツ語で会話するようにしていたが、自分の言語力のなさゆえ知らぬ間に英語になっていたこともよくあった。モデラーもむろん一人の人間だから、気が合う人もいれば合わない人もいる。私が一緒に働いたモデラーたちとは幸運にも気が合ったし、とても献身的に仕事をしてくれた。
彼らの朝は早い。6時から仕事を始める人もいる。そして夕方4時ごろには帰ってしまう。こちらも早く出社するよう努めるのだが、なかなか6時出社は厳しい。そのうち、前日の夕方に希望を伝えて、翌朝私の出勤する頃にはひとつのアイデアを盛り込んだモデルが出来ているというルーティンが出来上がっていった。何とかなるものである。それでも自分の思っていることがうまく伝えられずに、夜な夜な自分でクレイを削るハメになることもある。
複数のクレイ・モデルが最終プレ ゼンテーションに向けて偽装され、ペイントされる。そして、その内のわずか2台のみが原寸大クレイ・モデルに移行されることになる。私の991プロポーザルは、このうちの1台迄進むことができた。原寸になると、それまで以上にシビアな設計条件、空気力学要件を満たす必要が出てくる。そうやって、どんどんデザインを発展成熟させて最終形状まで持っていくのである。
ポルシェに入って気づいたことだが、このプロセスがとても長い。ずっとクレイ・モデルの表面を何がしか触っている。昨今では3Dスキャナーやミリング・マシーンを駆使してサーフェス・データをコンピューターに取り込んでは要件と照らし合わせ、CAD上で変えるべきところは変えてまた削る。そしてスキャンして、また削るという繰り返しである。それはまるで摘み取ったぶどうが樽の中で静かに熟成されて、素晴 らしいワインに変化してゆくプロセスのようだ。
その後のデジタル・プロセスに入っても今度は画面上で同じような作業を繰り返している。むろん、ほかのカー・メーカーも同じことをやっているのだろう。でも、この何でもないプロセスの繰り返しこそが、ポルシェをポルシェたらしめるキモのような気がしてならない。目新しさを狙ってインパクトのあるものを急いで出すよりも、時間をかけてじっくりと形を熟成させていくのである。
昔、ある日本企業の先輩デザイナーと話す機会があったが、なにせ時間に追われていて、まだ完成していないスタイリングもタイム・リミットということで目の前から持っていかれてしまうという趣旨のことをおっしゃっていた。時間がすべてとは言わないが、ワインづくりと同じように熟成のための時間がスタイリングにおいて大きな役割を果たしているのは確かだろうと思う。
さて、私は今もスタイル・ポルシェで毎日机に向かい、スケッチを描き、コンペに参加するのを許されている。正直この歳まで、自分の子供といってもおかしくないような若いデザイナーたちとコンペを争い、仕事ができるのは本当に幸せなことだと思っている。日本の会社では到底考えられないだろう。こんな幸せな時間を、このドイツという土地であとどのくらい持てるのだろうか。
文とスケッチ=山下周一 写真=ポルシェ・ジャパン
(ENGINE2018年7月号)
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