英国が生んだ偉大なるレーシング・ドライバーが4月、90年の生涯を閉じた。F1王座を獲得することができなかった"無冠の帝王"は、いかにして伝説となったのか?
"GP3勝以上"という条件を満たす"モナコ・マイスター"は、6勝を挙げたアイルトン・セナを筆頭に、5勝のミハエル・シューマッハ、グラハム・ヒルなど、わずか8人しかいない。
ではその称号を最初に得たのは誰か? 1956年、60年、61年と3度の優勝を果たしたサー・スターリング・モスだ。
あれは2016年のモナコ・ヒストリックGPでのこと。レースウィークの始まる金曜日に行われた、モナコ初制覇60周年を祝うセレモニーで当時の一番の思い出は? と聞いたら、いたずらっぽい笑顔を浮かべて彼はこう返してくれた。「そうだな、当時はコーナーごとに彼女が待っていたから、シフトしながら全員に手を振って走るのが大変だったよ」
モスはよく"無冠の帝王"と称される。確かに1955年に弱冠26歳で当時最強のメルセデス・ベンツ・ワークス入りを果たし、その年の母国イギリスGPではポールポジションから初優勝を飾るなど才能を開花させたが、チームのエースであったファン・マニュエル・ファンジオには及ばずランキング2位に止まった。メルセデス撤退後もフェラーリに移籍したファンジオの後塵を拝して56年、57年と連続2位、そしてファンジオが引退した58年に4度目のチャンスが巡ってきたが、同郷のマイク・ホーソーンにわずか1ポイント差で敗れ、ついぞF1王座を獲得することはできなかった。
しかし彼が生きながらにして伝説のドライバーとなったのは、F1GP 16勝、RACTTレース7勝、コース・レコードを樹立しての1955年ミッレミリア総合優勝といった成績はもとより、何度となく危機に見舞われても不死鳥のごとく復活し、80歳になった2010年のグッドウッド・リバイバルで正式に引退を表明するまでレーシング・ドライバーとして走り続けた"最もレースの神様に愛された男"であったからだ。
2016年、モナコ・ヒストリックの後もグッドウッドなど各地のヒストリックカー・イベントに精力的に姿を見せていたモスだが、10月に日本で行われたラ・フェスタ・ミッレミリアの帰路に立ち寄ったシンガポールで、重度の胸部感染症に罹って緊急入院。翌年5月には退院しイギリスへ戻ったとアナウンスがあったものの、ファンの前に一度も元気な姿を見せることなく2020年4月12日、90年の生涯を閉じた。
偉大なレジェンドとは思えないほど気さくで、茶目っけがあり、ステアリングを握れば誰よりも熱く、踊るようにマシンを走らせたモス。その姿は今も瞼の裏に焼き付いている。
文=藤原よしお
(ENGINE2020年7・8月合併号)
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