2021.08.14

CARS

オランダ生まれのスーパーカー「スパイカーC8」とはどんなクルマだったのか

スーパーカーといえば、ランボルギーニをはじめとするイタリア製の高性能スポーツカーを思い浮かべる人は多いはず。あるいは、イギリスのアストン・マーティンやフランスのブガッティの名を上げる方もいるかもしれない。しかし、自動車とは縁遠いと思われるオランダにもスーパーカー・メーカーがあった。それがスパイカー。彼らの代表的なモデル、「C8」とともに彼らの歴史を紐解いていく。

会社の哲学をエンブレムに記す

飛行機のプロペラと、ラテン語で「Nulla tenaci invia est via」(粘り強くやれば、必ず道は開ける)という会社の哲学を刻んだ、オランダのスパイカー社のエンブレム。最初はこのエンブレムにはプロペラの図柄は与えられてはいなかった。その事情を含め、まずは簡単にスパイカーの歴史を振り返っておこう。



オランダ女王の馬車を手掛ける

スパイカー社が誕生したのは1880年。ヘンドリック・ヤンと、ヤコブス・スパイカーの兄弟によって、ヒルフェルスムで設立された本社とファクトリーで、まず高品質な馬車の生産と販売に集中する。

カール・ベンツのエンジンを搭載した小型車が誕生したのは設立からわずか18年後、1898年のことだ。その一方でスパイカーは当時のオランダ女王、ウィルヘルミナに豪華絢爛な馬車「ゴールデンステートコーチ」を寄進。この馬車は現在でも女王の公式な行事に使用される、第一級の格を持つ馬車である。

スパイカーの大きな特長は製造技術の高さのみならず、技術革新の速さにもあった。たとえば1903年にデビューした60psグランプリレーサーは世界初の6気筒エンジンを搭載したマシンであり、駆動方式には4WDを採用。1907年にはプライベーターによりパリ・北京1万5000kmレースに参加。ここで見事2位完走を果たし、スパイカーの名を世界に大きく轟かせた。





戦闘機も製造

1914年、スパイカーの歴史にとって非常に重要な局面が訪れる。それは第一次世界大戦により航空機生産の必要性がスパイカーにも生じたためで、翌1915年からそのエンブレムは現在でもお馴染みの、例のプロペラを組み合わせたものとなる。ちなみに第一次世界大戦中、スパイカーが製作したのは100機の戦闘機と200機の航空機用エンジンであったという記録が残っている。

第一次世界大戦が終了すると、スパイカーは再び自動車の生産に回帰するが、1922年にはスパイカーC4で平均速度記録を樹立するなど、その技術の進歩を世界に向けて発表するなど好調ぶりを見せた。しかし……。

スパイカー社は1880年の創立から45年後となる1925年、おもに財政上の問題からなのだろう、そのビジネスのすべてを停止してしまうのだ。スパイカーの名前も、あの特徴的なエンブレムも、すべては歴史の中にその存在を残すのみのものとなってしまった。







75年ぶりの復活

しかしミレニアム・イヤーの2000年、我々は再びオランダから大きなニュースを受け取ることになる。それは以前のスパイカー社が消滅してから75年、新しいスパイカー・カーズ社が誕生し、同年のバーミンガム・モーターショーで、その復帰作となる「C8スパイダー」を発表したのだ。

第一期スパイカーの消滅から3四半世紀が経過し、すでにその存在を覚えているエンスージアストも少なくなりつつあった頃だが、実際に彼らが披露したC8スパイダー、そしてそれに続いて誕生したクーペ・ボディの「C8ラビオレット」は、いずれも先進性とともにレトロチックな雰囲気を外観から感じる魅力的な作であった。

さらに多くの観衆の目を釘付けにしたのは、アルミニウムとレザーを多用したインテリアのフィニッシュ。いかにも居心地の良いGTの世界が演出されているではないか。エンジンは当時のアウディS8に搭載されていた4.2リッターV型8気筒。それをリア・ミドシップに搭載する。

スパイカーC8スパイダー。そのマークの伝統と希少性を知る、本物のエンスージアストのガレージに、ぜひ収めていただきたい一台である。







文=山崎元裕 写真=小林悠佑

車両協力=スクーデリア46

(ENGINE WEBオリジナル)


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