2022.06.27

CARS

F1用タイヤを一手に担うピレリ その150年の歴史を紐解く

2022年でピレリが創立150周年を迎えた。創立者のジョバンニ・バティスタ・ピレリが自分の名を冠したイタリア初のゴム製品製造会社であるG.B.ピレリ&C.(以後ピレリ社)を設立したのは、1872年1月28日である。

電気伝送ケーブルでブレイク

ピレリ社はその翌年、フランス人のエメ・グラールによる技術指導を受け、ミラノの工場が操業を開始する。当初は、蒸気機関や鉄道で用いるベルトやバルブ、絶縁体などを手がけた。その後は、玩具やスポーツ用ボール、レインコートなどへ商品の範囲を広げるが、飛躍の原動力となったのは1879年に生産をスタートした電気伝送ケーブル。海底電信ネットワークと鉄道の電化で政府と契約すると、国外でも次々と大規模な電力ケーブル事業で契約を獲得した。



タイヤ事業は1890年から

そんなピレリ社がタイヤ事業をスタートさせたのは1890年。最初のタイヤは2輪用で、4輪用は1901年から生産を開始する。1907年にはピレリ製タイヤを装着した車両が北京-パリ大陸横断ラリーでほかのチームを20日以上引き離してゴールし、一躍その名を轟かせることになる。また、創業者のサインに着想を得て、長い「P」の文字の下に「IRELLI」を組み合わせた現在も使用しているピレリのロゴが誕生したのはその1年後となる1908年のことだ。

1920年代にはさまざまな技術革新を実現し、1929年にはイタリア企業で初めてアメリカの証券取引所に上場するなど世界進出を本格化。1930〜40年代に様々な国で人気を博する。また、1940年代末からはモータースポーツの世界でも活躍した。



フェラーリF40純正タイヤとしてP ZEROデビュー

1970年代にはスーパーカー・ブームを牽引したイタリアのスーパースポーツに装着されたこともあって、高性能タイヤ・ブランドとしてのイメージを確立。1985年には25年ぶりにF1へ復帰し、この年に開発が始まったハイパフォーマンス・タイヤ「P ZERO(ゼロ)」は1987年にフェラーリF40の純正装着タイヤとして商品化される。

現在も、F1とスーパーバイク世界選手権のサプライヤーを務めるピレリだが、もちろん市販タイヤにも抜かりはない。6月10日に駐日イタリア大使館で開催された創立150周年記念イベントでは、新しいスタッドレス・タイヤ、「アイス・ゼロ・アシンメトリコ」を発表した。日本市場に主眼を置いたウインター・タイヤで、氷上路面での性能が求められる日本の冬道に対応するべく開発されているのが大きな特徴となっている。44サイズがラインナップし、コンパクト・カーから中・大型セダンをはじめ、ミニバンやSUVまで輸入車、国産車を問わず対応する。

日本のニーズに見合った商品をはじめ、市販用タイヤの開発やモータースポーツなどピレリの活躍に期待したい。



文=関 耕一郎

(ENGINE WEBオリジナル)

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