2023.03.09

CARS

「夏に乗れば汗だく、冬に乗れば手が凍る」 元F1ドライバーの片山右京さんが、それでも愛車のMGミジェットを手放さない理由が胸を打つ

片山右京さんと愛車のMGミジェット(1964年型)。

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クルマ好きのゲストを迎え、「これまでに出会ったクルマの中で、人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台」を聞くシリーズ。今回は、1992年から6年間、F1パイロットとして日本人最多94の決勝レースを戦った片山右京さん。自転車競技、そして登山への挑戦も続ける熱き冒険家は、水色のイギリス製ライトウェイト・スポーツで気分をリフレッシュしている。

カミカゼ・ウキョウと水色の小さなMGミジェット

元F1パイロット、片山右京さんは愛車である水色のMGミジェットに乗ってやってきた。アグレッシブな走りで「カミカゼ・ウキョウ」と異名を取った人と、小さくて愛嬌のあるフロント・マスクのMGミジェットの組み合わせは、ちょっと意外だった。



「これは1964年式のマークIIです。10年ぐらい前かなあ、先輩に譲ってもらいました」

旧いクルマに興味を持つようになったのは、ラ・フェスタ・ミッレミリアだという。

「モラスティという世界に1台のクルマをお借りして出たんですよ。そこで旧いクルマから刺激を受けた。こういうのもモーター・スポーツだ、友達と一緒にクラシック・カーのレース・イベントに出るのもいいなと思うようになって」

そんなとき、これなら譲るよと声をかけてくれた人がいたのだという。

「競技に勝つことだけを考えたら、係数が良いもっと旧いクルマの方がいい。だから、ミジェットは競技のためというよりも、脚としても使えるライトウェイト・スポーツが欲しかったという単純な理由かもしれないね(笑)」

片山さんはこのミジェットと過ごす時間がとても楽しいそうだ。

「クルマと常に対峙している必要があるんですよ。クラッチ・ミートには気を使うし、渋滞にハマればドキドキする。運転してクタクタになることもあるけれど、それが楽しいし、豊かなことだと思っています。雨が降ってきたので運転席で傘をさしたら、隣の幼稚園バスの園児たちが笑ったこともあった。そういうのもホノボノしていて好きなんですよ」

これまでに大きなトラブルはまったくないという。

「オルタネーターが壊れたことがあったけれど、新品に交換できました。そこがイギリスのすごいところですよね。いまだにパーツが手に入る」

とはいえ、ミジェットの調子がいいのは、オイルのチェックはもちろんキャブの調整など、日ごろのメインテナンスがきちんと行われているからだろう。

MG Midget MkII MGミジェットは1961年から1979年まで生産された小型2座のオープンカー。オースチン・ヒーレー・スプライトとの兄弟車である。1964年に初代からMkIIへと発展した。1098cc4気筒エンジン(59ps、87nm)を搭載する。4段MT。660kg。

カローラでドリフト

片山右京さんは1963年生まれ。自動車という工業製品の進化とともに生きて来たと言っていいだろう。そんな片山さんが何故いまミジェットなのか? 愛車遍歴を聞いた。

「18歳で免許を取って、自分の最初のクルマは昭和47 年式のトヨタ・カローラでした。祖母を病院に連れて行くために10万円で4ドアを買ってくれた。昔は舗装路じゃないところがたくさんあって、そこを全開で走っていた。遠くから見たらWRCで土煙を上げて走っているラリーカーですよ。でも近くで見たらカローラ(笑)」

免許を取って1週間で自由自在にドリフトを楽しんでいたという。F1パイロットへのはじめの一歩だったのかもしれない。

「でも、僕の原風景はクルマじゃなくて、父の影響で山なんです。冒険家になりたかった」

スピードに取りつかれたのは、オートバイに乗り衝撃を受けたからだという。片山さんのレースにおける輝かしい戦歴は枚挙にいとまがない。

「まあ、クルマに関しては向いてましたね。ブレーキングを遅らせて、カンカンカンって入っていって、クッと向きを変えて、アクセル開けて、スライド量に合わせて、トラクションをかけていくという一連の動きが沁みついている。だからスキーも乗馬もすぐに上手くなった」

トヨタ・カローラからの愛車遍歴をざっと挙げると、マツダ・サバンナ(RX3)、オースチン・ミニ、マツダRX- 7(FC)、ロータス・エリート(コーリン・チャップマンの奥さんの愛車だった)、オースチンA35、ベンチュリーMVSトランスカップ、フェラーリF40、ポルシェ・ボクスター(986)、ミニ・クーパー、日産スカイラインGT-R(R34ニスモ)、メルセデス・ベンツ500SEL(W126)、トヨタ・プリウス、トヨタ・アベンシス、トヨタ・クラウン、BMWアクティブ・ハイブリッド7と続いてきた。

「一番面白かったのはF40。一方あまり惹かれなかったのはボクスターかな。プリウスはレオナルド・ディカプリオなどハリウッド・スターたちが乗り出したときで、自分も自転車をやっていたから環境問題への意識が芽生えたんです」

当時、自転車で大阪から東京までイッキに走ったことがあるという。

「21時間で走ったんです。1時間に水を1リットル飲まないと脱水症状になるんですよ。1リットルは220円だった。さらに血糖値が下がると低体温症になったり筋肉が動かなくなるので、15分置きにアンパンとかどら焼きを食べる。大阪~東京のプリウスのガソリン代と比較したら、プリウスの方が安かった(笑)」

でも楽しいかどうかは別だと片山さんは続けた。

「プリウスはモビリティとしてはとてもよく出来た工業製品だけど、僕のなかではクルマではないんです。ミジェットに夏に乗れば汗だく、冬に乗れば左手は凍るよう。最悪ですよ。でも手放さないのはミジェットが僕にとってクルマだから」



ミジェットにはひとりで乗ることが多いそうだ。

「ひとりで考えごとをするのに最もいい空間です。心のなかの引き出しを整理する作業ができる。ともすれば、昔のことを言われることが多いけれど、いまの仕事のために90%は前を見ていかないといけない。ミジェットのなかでそういうバランスを取っています」

スーパーGTや自転車レースのチーム監督を務めるほか、ジャパン・サイクル・リーグのチェアマンとして国内にプロ自転車競技を大きく展開していこうとしている片山さん。さらに登山家としてエベレストへの再挑戦も考えているという。

「いろいろなプレッシャーはもちろんあります。それがMGミジェットに乗るとリフレッシュされる。免許取り立てというか、レースを始めたころのように毎日が冒険という気分になれる。だっていつ動かなくなるかわからないでしょ(笑)」

動いている、そう、生きているうちは常に冒険なのだ。だから生きることは素晴らしいのだと、片山さんから教わったような気がした。片山さんはいまも全開だ!

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文=荒井寿彦(ENGINE編集部) 写真=筒井義昭


片山右京
1963年東京生まれ。1983年、FJ1600筑波シリーズでレース・デビュー。同シリーズでチャンピオンとなる。1991年、全日本F3000シリーズ・チャンピオン獲得。1992年、ヴェンチュリー・ラルースと契約し日本人3人目のF1パイロットとなった。1997年までF1世界選手権で活躍し、日本人最多94の決勝レースに出場。そのほかルマン24時間レース、パリ・ダカール・ラリー、全日本GT選手権などで活躍した。また、登山ではモンブラン、キリマンジャロ、マナスルなどの登頂に成功。自転車競技にも参戦、Team UKYOを発足した。東京オリンピック・パラリンピックでは、自転車競技のスポーツマネージャーも務めた。スーパーGT「グッドスマイルレーシング」監督。株式会社ジャパンサイクルリーグ代表取締役会長/JCLチェアマン。

(ENGINE2022年12月号)

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