2023.11.02

LIFESTYLE

こんなスタイリッシュな空間でお酒が飲めるのは驚きだ! 往年の形で蘇った世界的デザイナー倉俣史朗の伝説のバー「コンブレ」が、静岡の町で今なお営業されている理由とは?

倉俣史朗、後期の特徴が表れた、ミニマルでカラフル、そして浮遊感のあるデザイン。

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数多くの商業店舗も手掛けてきたデザイナーの倉俣史朗。そんな彼が1980年代に静岡でデザインしたバーがこの春、当時の形で蘇った。デザイン・プロデューサーのジョー スズキ氏がリポートする。

1989年に開店

こんな美意識溢れるバーが静岡にあったとは! しかも1989年の開店というのが驚きだ。店の名前は、「コンブレ」。デザインしたのは、世界的に評価の高い倉俣史朗(1934-91)だ。倉俣に「できるなら東京に持って帰りたい」と言わしめたほどの傑作だが、時代が移り半ば忘れられた存在となっていた。

空間と家具のデザインの分野で活躍したデザイナーの倉俣史朗。代表的な家具は世界の主要な美術館に収蔵されているが、手掛けた空間の大半は商業店舗で、数年でなくなってしまったものがほとんど。現役の施設は僅かである。静岡にコンブレが生まれ今も残っているのは、心ある地元の人々の存在あってのことだ。



静岡の町にある価値

東京でも倉俣デザインのバーが少なくなっていた80年代後半。後世にまで残るバーを地元にと、静岡で多くの倉俣の店舗を手掛けた施工会社の社長が出資し、設計を依頼したのがコンブレである。予算は少なかったがけして妥協はせず、軽やかで研ぎすまされた倉俣ワールドが完成した。残念なことに後年施工会社は倒産し、お店は人手に。しかしその店も程なく閉店。改装が行われ荒れ放題だったところを救い出し再出発させたのが、オープン時のマスターである中山昌彦さんだ。2000年のことである。もっともその後は、倉俣を知らない世代が増えたうえにお酒の飲み方も変わり、カクテル・バーとしてデザインされたコンブレが、店内にボトルの棚を設置した時代もあった。



ところが近年、世界的に倉俣史朗再評価の機運が高まる。11月からは世田谷美術館で回顧展が始まり、富山、京都と巡回する予定だ。そんな時期、オリジナルに近い形でコンブレが復活した。マスターも、開店以来変わらぬ中山さんだ。

訪れたコンブレでは、客人が少ない時間帯に頂いた一杯が、美術館の展示室でお酒を味わっているような不思議な緊張感があり心地良かった。倉俣がデザインした寿司屋が、香港の美術館にそっくり移築されたのはよく知られた話だ。同じようにコンブレも、美術品としての価値は相当に高いだろう。だが、この店の本当の価値は、倉俣史朗がデザインした現役の店が、美術館の中ではなく、静岡の町で長く人々を迎えてきたこと。関わった人々の熱意は、お金では測れない。

文=ジョースズキ(デザイン・プロデューサー) 写真=田村浩章

オープン以来、コンブレのマスターは中山昌彦さん唯一人。今はオーナーでもある。店内にはボトルの姿は見えず、カクテルは奥のバックヤードで作られる。飲み物は「静岡価格」と中山さん。

(ENGINE2023年11月号)

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