現代に蘇ったアバルト 第一弾は500アバルトだった!
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雑誌『エンジン』の貴重なアーカイブ記事を厳選してお送りしている「蔵出しシリーズ」。今回は、蘇ったアバルト、500アバルトでイタリア国内1600kmを旅したリポートをお届けする。いよいよ内燃エンジンの生産が終了する500。アバルトは果たしてどうなるのか。未来を知るには過去を見直すといいかもしれない。というわけで2008年12月号の激走(笑)1600kmをお送りする。
マントヴァの中心地にあるピアッツァ・ソルデッロにたたずむ1台の小悪魔。全長4mを大きく切る小さな体には、サソリの毒が秘められている。1960年代、カルロ・アバルトがチューンした500ベースのフィアット・アバルトは、週末のレースで連戦連勝を飾ったという。在りし日のアバルトに思いをはせつつ、現代に蘇った500アバルトで、トリノ~ローマ~トリノ、1600kmの旅に出た。ビアンコ・イリダートトリノの元フィアット工場、近代奇想建築のひとつに数えられるリンゴットの隣のビルが広報車の借り出し及び返却所で、守衛さんからキイを受け取り、いわれた通りそのビルの裏手に行ってみると、濃紺のアルファ・ブレラの隣に、ビアンコ・イリダート(虹色に染まった白)と名づけられたホワイト・メタリックの500アバルトが静かにたたずんでいた。日陰にあって、そのクルマだけ白く輝いているのは、単にビアンコ・イリダートのなかのメタルの粉が光を反射しているだけではなくて、私の心象風景でもあったろう。そう、私にはその子が輝いて見えたのだ!

バンパーにはクーリングのためのエア・インテークが設けられ、エアロダイナミクスの洗礼を受けて、スポイラー類で武装され、最新科学技術のふりかけにより、ノーマルの500よりモダナイズされている。
その一方で、ドアから飛び出したミラーが赤く塗られているのは、耳が赤いみたいでご愛嬌。大きく口を開けたエア・スクープは笑顔で笑っているように見える。カワイイ。
ドアを開け、シートに座ってキイをひねると、ブオンッ! という野太いサウンドが吐き出された。ほほう、と私は思った。それは思わず、ニンマリしちゃう類の音だった。
走り出すと、かつてアバルト本社があった聖地、トリノ市内の北部にあるコルソ・マルケ38に向かった。在りし日のアバルトは、その多くがここから巣立った。いままた、新生アバルトの、大ヒットを約束された500アバルトが東洋人のおっさん(私)の手によって聖地詣でを済ませ、翌日からの旅に備えるのだった。
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