2024.07.07

CARS

結婚して買ったアウディR8はサーキットで306キロ出た! スピードが大好きな騎手のミルコ・デムーロさん フェラーリを買ったらまた鈴鹿を走りたい!!

ローマかポルトフィーノが欲しいという騎手のミルコ・デムーロさん。

全ての画像を見る
ドゥラメンテ

advertisement


デムーロさんが日本に来たのは20歳のとき。日本の運転免許を取ったのはJRAの通年ジョッキーになった2015年のことである。

通年騎手免許を取得したデムーロさんは大活躍、2015年ドゥラメンテで皐月賞、続いてダービーを制覇した。デムーロさん本人も自分のジョッキー人生のなかであれほど強い馬はいなかったと言う。

「ドゥラメンテ(イタリア語の音楽用語で“荒々しく”“はっきりと”という意味)は、クルマで言ったら絶対フェラーリ。追い出したときの加速スピードが全然違いました。凄かった。今日の296GTSと一緒」

FERRARI 296GTS フェラーリのプラグイン・ハイブリッド・スーパースポーツ296シリーズのオープン・モデル。バンク角120°の3リッターV6ツインターボにモーターが組み合わされ、0-100km/h加速2.9秒、最高速330km/hを誇る。価格は4319万円~。

日本に来てから最初に買ったクルマはマセラティ・グラントゥーリズモ。納車から1カ月も経たずに鈴鹿サーキットを走ったのだそうだ。

「僕、鈴鹿サーキットのライセンスを持っているんです。グラントゥーリズモで走ったら2周でタイヤがボロボロになりました。ディーラーにタイヤ交換に行ったら“えーっ! どうしたらこんなになるの?”って、驚かれた(笑)。タイヤ交換で40万円くらい。勿体ないね。アハハ」

イタリア人は街にコンビニがないのになんであんなに楽しそうなんだと言った人がいたけれど、デムーロさんもひたすら明るい。心に太陽がある感じがする。

「最近はサーキットに全然行ってないです。世の中がコロナになったりして。フェラーリを買ったらまた鈴鹿を走りたいです。え? 勿体ない? うん。そうね。でも、本当のパフォーマンス知りたいです。新しくできた“マガリガワクラブ”にも行ってみたい」



ピットからコースへ出るとき、馬で言えばゲートが開いたとき、バーッとダッシュする瞬間がとにかく好きだという。

「クルマの運転とホース・ライディングは似ている。でもバイクの方が似ているかな。体重移動して手綱を引いて、みたいなところはバイクの感覚に近いですね。サーキットでコーナリングが速いクルマがあるように、馬もコーナリングが得意なのとそうでもないのがいる。小さくてもアバルトみたいに速いのもいるし、大きくてもSUVみたいに遅いのもいる。コーナーを駆け抜ける操作がセンシティブなのは、馬もクルマも同じです。そこはいいパイロットとダメなパイロットと全然違う」

馬とクルマが違うのは、馬が生き物だということ。それぞれ性格が違うし、日によってコンディションも違う。レース・スタート前に本馬場へ入場して「おっ! 今日は調子がいいな」とか「あれ? 今日は機嫌が悪い?」などと感じることは重要だと言う。

「昨日、名古屋で勝ったサンライズホークはすごく手ごたえが良かった。いままで乗ったなかで一番強かった。気性が荒い馬なんだけど、昨日は落ち着いていいレースが出来ました」

ちょっと古いクルマも好き

さて、日本で最初に買ったマセラティ・グラントゥーリズモがレヴァンテに代わり、いま次をどうしようかと悩んでいる状況だ。「フェラーリはイタリア人にとって特別なものなんです。イタリア人はみんなF1が好き。だからランボルギーニじゃなくてやっぱりフェラーリ。僕は騎手だから“牛”じゃなくて“馬”のマークですね(笑)」

一番好きなクルマはフェラーリだと言うデムーロさん。でも、フェラーリだと家族のクルマがもう1台必要かもしれないと、いろいろ迷っているのだそうだ。

新しいクルマが好きなんですか?

「いや、ヴィンテージ・カーも好きですよ。昔乗っていたアルファ・ロメオ1600スパイダー(1979)は本当に好きです。とてもオシャレだった。ローマの街を走るのも、海岸線を走るのも最高でした」

オシャレで明るくてスピードが大好きなデムーロさん。取材のあった翌々日の日曜日、中山競馬場で開催されたJRA重賞レース弥生賞ディープインパクト記念もコスモキュランダで優勝した。まさに人馬一体での勝利。フェラーリが来るのも遠くないかもしれない。

文=荒井寿彦(ENGINE編集部) 写真=筒井義昭



ミルコ・デムーロ
1994年にイタリアでデビュー。95年には見習いリーディングに輝き、97年~2000年まで4年連続でイタリア・リーディング・ジョッキーとなる。1999年12月4日に日本初騎乗。同日スタジアムブルーで日本での初勝利を挙げる。2001年の小倉大賞典にてミスズシャルダンで重賞初勝利。その後も短期免許で来日するたびに勝ち星を積み重ね、03年の皐月賞ではネオユニヴァースでG1初制覇。続くダービーでも勝利を挙げ、外国人騎手として初めてのダービー騎手となる。天覧競馬として行われた12年の天皇賞・秋ではエイシンフラッシュで優勝。スタンド前で下馬し、天皇・皇后両陛下に最敬礼をしたその姿は競馬史に残るシーンとなっている。15年、JRA騎手免許試験に合格し、クリストフ・ルメールとともに外国人として初めてJRA通年免許を取得した。同年、ドゥラメンテで皐月賞、ダービーを制覇。19年には史上37人目のJRA通算1000勝を達成、21年には史上10人目となるJRA重賞通算100勝(うちG1・33勝)を達成した。

(ENGINE2024年5月号)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録

advertisement

PICK UP



RELATED

advertisement

advertisement

PICK UP

advertisement