2025.01.04

CARS

希少な生息数の英国製旧車オープンカーを普段乗り! オーナーはトライアンフ・ヴィデス・コンバーチブルで北海道一周ツーリングを計画中

1968年型トライアンフ・ヴィデス・コンバーチブルとオーナーの櫻井さん。

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所属するカー・クラブのイベントで、毎回撮影を担当している櫻井さんは、お気に入りのトライアンフのステアリングを握り、どの現場にも駆けつけている。

人生何があるか分からない

「そもそも日本ではトライアンフ・ヴィテスの棲息数自体が少ないのですが、コンバーチブルとなるとさらに僅少で、今年の春には仙台で開催された趣味車が集まるイベントで展示してくれませんかね、と主催者から頼まれ、自走で行ってきました」

ヴィテスの外観上の特徴は、チャイニーズ・アイと呼ばれる吊り目の4灯式ヘッドライト。

そのように話してくれた櫻井恭興さんは現在65歳。東京・国立市に本拠を置く自動車愛好家の旧車サークル、オートモビル・クラブ・ジャパンの理事や、谷保天満宮旧車祭・世話人会の幹事などを務めている。

「1968年型ヴィテス・コンバーチブルを買ったのは2021年のことです。高齢になる母親を送迎するときだけは日産マーチを車庫から出していますが、幌の上げ下げが簡単なので、屋根が開くヴィテスを四季を問わず、もちろん冬でも普段乗りのクルマとして使っています。フロント・セクションに直列6気筒エンジンを積んでおり、貴重なコンバーチブルである点がこだわりのポイントです」

ステアリングはモトリタで、人形作家・亀島利子さんの作品と谷保天満宮のお守りが内装のいいアクセントになっている。

イタリアのカー・デザイナーであるジョヴァンニ・ミケロッティがスタイリングを手がけたヴィテスは、2ドア・スポーツサルーンも4座のコンバーチブルもスタイリッシュだが、櫻井さんも写真を見てひと目惚れ。その熱が冷めることなく、買ってしまったそうだ。

「実はヴィテス・コンバーチブルが最初の旧車ではなく、2台目です。初めて買ったのは1964年型のトライアンフTR4でした。もともとクルマを必要としない生活を送っていて、公共交通機関で移動すればそれで十分だ、と思っていたのですね。でも、人生何があるか分からないもので、オートモビル・クラブ・ジャパンが発足する前に会長の是枝さんと知り合いになり、その後、入会することになってクルマが必要になりました。そういった経緯でTR4を購入することになったわけです」



クルマをさほど必要としない段階で紹介してもらった愛車の候補は2台あり、1台はTR4、もう1台はMG TDだったのだという。そもそもの候補がこの2台である。間違いなくオープンカー好きだったのだ。そして櫻井さんは先に現物を見たクルマを買おうと決めていた。

まずMG TDをチェックすることになっていたが、先方の都合が悪くなってお見合いは消滅。結局TR4とのご縁が先となり、晴れて旧車オーナーの仲間入りを果たした。オートモビル・クラブ・ジャパンにも入会し、主要メンバーとして活動を開始する。

エンジンは直列6気筒。稀少なオーバードライブ付き車両だ。

北の大地を目指す

櫻井さんはどのイベントでも撮影を担当しており、以前、筆者も愛車のアルファ・ロメオを撮ってもらったことがある。

彼はクラブに最初期から在籍している者の責務として、いつも三脚を取り付けたカメラを持って歩き回っているのだが、その献身的な姿はとても印象に残った。今回の撮影場所として谷保天満宮の境内をお借りする際も、是枝さんと彼の名を出したら、すぐさま顧問の菊池さんが快諾してくれた。

谷保天満宮旧車祭では菊池顧問がオートモビル・クラブ・ジャパンのメンバーを温かく迎えてくれるという。

なお、谷保天満宮旧車祭は、日本自動車文化発祥の地である谷保天満宮の存在を、後世に伝える目的で実施されている。

明治41年8月1日に有栖川宮威仁親王殿下御先導による我が国初の自動車遠乗会が実施され、日比谷公園を出発した御一行が目的地としたのが谷保天満宮だったのだ。



当地の梅林における食事会の席上で日本初の自動車倶楽部が設立され、それを以て谷保天満宮が日本自動車文化発祥の地であり、交通安全発祥の地となった。

そんな旧車祭をいつも撮影している櫻井さん。最初に縁あったTR4は10年乗ったが、不運なアクシデントに遭ってしまい手放した。ヴィテス・コンバーチブルはまだ3年しか愛用しておらず、これから一緒に思い出深いエピソードを作っていきたいそうだ。

櫻井さんのヴィテス・コンバーチブルはホイールもオリジナルだ。

「本当は今春にヴィテスでの北海道一周ツーリングを計画していたのですが、残念ながら行けませんでした。仙台で開催されたイベントには参加できたので、そのタイミングに仕事を休んで、ヴィテスをフェリーに載せ、北海道に上陸することも考えましたが、それも実現しませんでした。来年の目標、ということになりますね」

この北海道のエピソードについては、遠征が無事叶った後に、ぜひ詳しく伺いたいものである。

文=高桑秀典 写真=阿部昌也 撮影協力=谷保天満宮

(ENGINE2025年1月号)

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