世界初となるウィナーズ・デイトナを贈呈された日産チームの1人である鈴木利男さんは、1992年のデイトナ24時間耐久レースの最終ドライバーを務めた。最後のピットインで星野一義さんから鈴木利男さんにドライバーチェンジをするとき「絶対に壊すなよ!」と言われてコックピットに入ったという。第2回目は1992年のデイトナ24時間レースでの出来事とチームメンバーのウィナーズ・デイトナの今について鈴木利男さんに話を聞いた。
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ウィナーズ・デイトナが贈呈された初のレースではさまざまな記録を樹立
デイトナ24時間レースで優勝した日産チームだが、レース中にさまざまなアクシデントに見舞われた。レース会場であるデイトナ・インターナショナル・スピードウェイは、デイトナビーチ近くのサーキットだ。そのため、砂浜の砂がコースに舞い込んでくる。レースの途中、この砂によってラジエーターが目詰まりし、エンジンの水温が上昇。チームクルーは、ピットインするたびにラジエーターに水をかけて砂を落とすという人海戦術で、水温の上昇およびエンジンのオーバーヒートを防いだ。

そのほかにも、周回を重ねるうちにクラッチの滑りも発生。原因は、ピットインの際にオイルを入れすぎたことによるものだった。このようなトラブルが発生してもドライバーたちは落ち着いて対応し、マシンを労わりながらレースを続けた。
そして、デイトナ24時間レース最後のピットイン。最終ドライバーである鈴木利男さんが待ち受けるピットに星野一義さんが乗るR91CPが戻ってきた。マシンを降りた星野一義さんは、ドライバー交代するとき鈴木利男さんに「絶対に壊すなよ!」と伝え、コックピットに送り込んだ。

クラッチが滑っているマシンを慎重に動かし始め、ピットアウトしたマシンは、順調に周回を重ねた。チームクルーが鈴木利男さんが操るR91CPを見守る。そして、チェッカーを受け24時間走り切った。
1992年のデイトナ24時間レースでは、1990年にジャガーが記録していた周回数記録761周を更新する762周でフィニッシュ。また、初めて日本人ドライバーが日本チームの日本製マシンで総合優勝するという快挙も成し遂げた。
デイトナが贈呈されることを知らなかったドライバーと時計のその後
数々の記録を打ち立てた1992年のデイトナ24時間レースの表彰式で、記念すべき世界初となるウィナーズ・デイトナが日産チームのドライバーに贈呈された。

当時、勝者にデイトナが贈られることはドライバーたちは知らなかったと鈴木利男さんは振り返る。実際に、デイトナを受け取ったとき、「へぇ、副賞で時計がもらえるんだ」と感じたそうだ。
時計好きからすると「デイトナがもらえることも嬉しい!」と思うが、鈴木利男さんはそれ以上に優勝を実感の方が強く心に残ったという。
鈴木利男さんは「歴代優勝者の名前が刻まれているトロフィーを見たときの方が誇らしかった」と話す。

24時間という長い戦いの末に勝ち取った優勝は、何物にも代えられない印象深い出来事ということなのだろう。インタビューでは、1992年デイトナ24時間レースの様子を細かく鮮明に話してくれた。やはり24時間レースでの快挙は、今でも記憶に深く刻まれているようだ。
少し脱線してしまったが、ロレックスからウィナーズ・デイトナを受け取った鈴木利男さんは、日常的に着用することなく、大切に保管していた。
ときに「売って欲しい」と言われたこともあったそうだが、「せっかくの記念だから」という理由で手放すことはなかった。もちろん、今後も手放す予定はない。

鈴木利男さんに他のドライバーのウィナーズ・デイトナのその後について尋ねてみると「星野一義さんは一度、息子さんにあげたみたいです。でも、後になって価値を知り、返してもらったのだとか。長谷見さんは、普段からウィナーズ・デイトナをつけていましたね」と教えてくれた。
各ドライバーのウィナーズ・デイトナが今どこにあるのかは直接聞かないとわからない。しかし、それぞれのドライバーがその特別な時計を大切に持ち続けていることは確かなようだ。
次回:今回、鈴木利男さんに話を聞いた理由はR35 GT-R
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こちら文=齊藤優太(ENGINE編集部)、写真=佐藤慎吾(ENGINE編集部)、日産自動車(レース中、表彰式)
(ENGINE Webオリジナル)