2026.09.06

CARS

アメ車好きの父の背中を見て育った娘 今は整備士として油まみれになりながらビンテージ・シボレーをレストアする 受け継がれてゆく父娘の物語

父が好きだったアメリカ車は、いつしか家族の時間をつくり、娘の人生を決めた。そしていま、その“好き”はもう一度、父へと返っていく。クルマをきっかけに受け継がれていく、父と娘の物語だ。

集合場所は埼玉県の川越市にあるとある桜の名所。前日に大雨さえ降らなければ、取材日は満開の桜が見られたのに……と思いながら、待ち合わせの10時に駐車場へ到着すると、すでにピックアップ・トラックとフルサイズバンが2台停まっていた。



遠目に眺めていると、バンから大学生くらいの女の子が出てきて、髪をひとつに束ね終わると、今度はピックアップから緑色のVANSを取り出して履き替えている。その近くには、青いストライプのシャツを着た男の人が笑顔で立っている。今日、取材をする親子に違いなさそうだ。

「8時から少しだけ仕事をしてから来ました!」

そう話すのは自動車整備士として働く安岡菜那さん。第一印象は、元気をもらえる笑顔の子。油まみれの作業着らしきジーンズと黒いスウェットを抱えているが、おそらく取材前に着替えてくれたのだろう。それを受け取るのが父の健太さん。仲の良さはすぐに伝わってきた。

シボレーC10は、ライドテック社製のキットを用い、フロントにドロップスピンドル+コイルオーバーサスペンション、リアに4リンク+コイルオーバーサスペンションを組み合わせることで、大幅なローダウンを実現している。

バンのシボレー・エクスプレスが健太さん、ピックアップ・トラックのシボレーC10が菜那さんのクルマ。いかにも“アメ車好き”な組み合わせだが、そのルーツは父から始まる。

「大学生のとき、香川から東京に出てきて。よくしてくれた先輩に連れられて、大黒パーキングにクルマを見に行くようになったんです。それがきっかけでアメ車が好きになりました」

とはいえ最初に手に入れたのは国産車。その後もう一台乗り継いだという。30 代は仕事と三姉妹の子育てに追われていたからと健太さんは話すが、「幼稚園にサバーバンで迎えに来てくれてたよ」と菜那さん。その頃、安岡家に最初のアメリカ車、シボレー・サバーバンがやってきた。奥様の幼なじみが営むアメリカ車専門店で購入したという。そうだったと、健太さんも振り返る。

「幼稚園の送り迎えも、週末の外出も全部サバーバンでしたね。アウトドアが好きで、山にも川にも海にも、毎週のように出かけていました」

そのサバーバンは、家族の思い出を積み重ねるだけでなく、菜那さんの進路にも大きな影響を与えることになる。


同じ顔のピックアップ

中学生の頃、菜那さんは父のサバーバンと“同じ顔”のピックアップ、シボレーC1500の存在を知る。

「すごく惹かれたんです。高校に入ってからは部活もやらずに、ずっとバイトしてお金を貯めていました」

「お父さんを嫌いな時期はなかった」と本人が話すように、健太さんの好きな世界に惹かれていくのは自然な流れだったのかもしれない。もちろん、年頃の女の子らしいファッションやメイクにも興味を持ちながら。

進路を考える時期、最初は仲の良い友達と同じように美容学校も考えた。しかし、オープンキャンパスで違和感を覚える。そして、健太さんにとっては青天の霹靂ともいえる事件が起こった。菜那さんから、自動車整備の学校に通って、アメリカ車の整備士になりたいと打ち明けられたのだ。



「向いてないなって思って。じゃあ何をやろうって考えたときに、やっぱりクルマが好きだったんです」

高校卒業後は自動車整備の専門学校へ進学。同級生の女子はわずか3人だった。だが卒業を控え、就職活動では苦労する。

「同級生はディーラーなどにどんどん就職が決まっていくんだけど、私はアメ車の整備をしたいというのが絶対に譲れなくて。でも求人はないし、あっても“新卒で女の子はちょっと”って断られてしまって」

健太さんは「頑固なんですよ」と笑うが、「好きが変わらない、まっすぐな子なんです」とも話す。その思いは、やがて道を開く。

サバーバンを購入したショップから独立した神山直紀さんが代表を務めるMT.G(マウント・ジー)が「それなら、うちにおいでよ」と誘ってくれたのだ。ピックアップやバンのレストレーションを得意とする、まさに理想の環境だった。

ただ現場は想像以上に厳しかった。

「学校で習ったこととは全然違って。キャブ車や古いクルマについては、ほとんどイチから勉強でした」

働き始めて丸4年。重いパーツを扱う日々で、前腕はアスリートのように鍛えられた。「腹筋も割れてるんですよ」と笑うが、健太さんにとっては心配もあったという。

「最初は見ていてきつそうでした。でも今こうして頑張っている姿を見ると、すごいなと思います」

運命のC10と出会う

菜那さんが欲しいC1500は、アメリカ本国でも人気が高く、価格は高騰傾向とあって、若手整備士にはまだ手が届いていない存在だ。しかし、この日に乗ってきたC10は、就職が決まった直後、なんとまだ学生の頃に手に入れたものなのだ。

「代表の神山さんに、C1500じゃないけど、1977年式のC10があるよって言われたんです。“なな”だからいいじゃんって。それで即決しました」

とはいえ、トラブルも多かったが、それが整備士としての糧になった。

菜那さんの仕事現場も見学させてもらったが、社長の神山さんから「顔にオイルがついてカッコいいじゃん」とからかわれるひと幕も。スタッフだけでなく、お客さんからも可愛がられる存在だ。

「最初は直6が載っていて。まずは師匠たちの手を借りながらなんとか直したんですけれど、『店にV8のブロックがあるから、これで新しいエンジン組んじゃえば?』ってなって。そしたら、話が一気に進んで、神山さんがどんどん部品を集めはじめてくれて。仕事終わりに少しずつ組んでいきました」

何度もやり直し、1週間に3回もオーバーホールをしたことも、白煙を上げたこともあった。それでもエンジンは組み上がり、いまは理想に近づきつつある。

一方、健太さんはサバーバンを経て、現在は2007年式シボレー・エクスプレスに乗る。アメリカのコンバージョンメーカーであるエクスプローラー社が架装したモデルで、リアシートや内装はとても豪華。後席は電動ベッドにもなる。

「いま52歳ですが、早めに仕事をリタイアして、これで妻と北海道を旅したいですね。それと、娘のクルマを見ていたら、僕も古いアメ車に興味が湧いてきて。コルベットが気になっています」

父から娘へと受け継がれたアメリカ車の世界が、今度は娘から父へと戻っていく。

正午に取材が終わると、菜那さんは再びジーンズと黒いスウェットに着替えて、仕事へ戻る準備を始めた。見学に来ていた奥様が、菜那さんにお弁当を手渡している。久しぶりの母の味なのだろう。その笑顔が答えだった。

文=佐藤 玄(ENGINE編集部) 写真=勝村大輔

(ENGINE2026年6月号)

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