編集部員だったTipoの誌面より(1994年7月のレース)。この頃、初めてきちんとメンテナンスしたらタイムが一気に上がって嬉しかった。
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就活は究極の売り手市場の時代だった 90年代のはじめの頃。自動車雑誌の 編集部で学生アルバイトとして働いていた ときに出会ったクルマがその後の人生を決めた。 これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの石井昌道さんが選んだのは、「ユーノス・ロードスター」。僕にとっては人生の師匠この手の思い出の1台をあげる企画では、いままで何度も取り上げてきたロードスターだが人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台となれば、またぞろ登場してもらわざるを得ない。初めてロードスターを購入したのは1991年。当時はまだ学生で自動車雑誌の編集部でアルバイトをしていた身だったが、就職に関しては気持ちが揺らいでいた。その頃は究極の売り手市場だったから、他にも道はあったからだ。クルマは大好きだけれど、果たして一生の仕事とするべきか確信を持てずにいた。ところがそれが、ロードスターに乗り始めたことでどっぷりと沼にはまっていくことになる。様々な記事でロードスターは素直で運転しやすく、まるで手足のように自由自在に操れると書いてあったが、実際に自分で走らせてみるとそんな風には思えなかった。 その頃は、 サーキットはおろかワインディング・ロードにも行ったことがなかったから運転は未熟そのもの。街の交差点をちょっと速くに曲がろうとしたらお尻が滑ってすごく怖い思いをしたこともある。想像したのとまったく違うけれど、これは自分が悪いのだろうということは理解し、もしも自動車雑誌業界で生きていくなら、ある程度は運転もできなければまずいと感じて、ドライビング・レッスンやサーキット走行会に通うようにした。月に2、3回はサーキットなどで走り続け、1年ぐらい経ったある日、唐突にロードスターと自分が繋がった感覚があった。こう操作すればどう動くという予測が立つようになり、自分の意図した運転に素直に従ってくれるようになったのだ。そうなってくると、自動車雑誌に書いてあるちょっと難しい走りの話への理解度も深まって楽しく感じられ、この世界で生きていきたいと強く願うようになった。アルバイトのまま居座って社員になる道を選択したのである。社員になってからもサーキット通いは続いていたが、ある日、富士フレッシュマン・レースにロードスター・クラスが新設されることを知った。それまでは自分がレースに出るなんて夢にも思っていなかったが、普段自分が走らせているクルマでなら、なんとかなるかもと思い込み、レース・ガレージを訪れて、どうすれば参戦できるのかを教わった。いまのようにナンバー付きレースなんてなかったからいつも乗っているクルマでそのまま走れるわけではなく、費用もびっくりするぐらいかかるのを知ってビビったが、もう1台中古のロードスターを買ってレース仕様にして参戦し始めた。知識も腕もなかったから、辛いことだらけで、自分が期待するほどセンスもなかったから成績などは散々だったけれど、貴重な経験だらけだった。運転は下手なりにも上達していったし、セッティングの変更やタイヤの状態などでクルマはどうなっていくかをすべてそこで学んだ。一番の衝撃は同じロードスターでも、レース・ガレージで一度バラバラにしてスポット溶接なども増し、軽量・高剛性になったレース仕様はまるで別モノで、手塩にかけるとクルマってこんなに良くなるものなのかと思った。初めて自分で買ったクルマで、初めてレースに出たクルマがロードスターで本当に良かった。というのも、前述したようにロードスターは素直でいいクルマで、基本的なドライビング・テクニックに忠実に応えてくれるからだ。間違ったことをすれば間違いだと気付かせてくれて、変な癖などがつかずに、ドライバーとしてもすくすくと育つことができたのである。ランニング・コストが低く抑えられるからたっぷりと走り込むことができるのもありがたかった。ボクにとってロードスターは、運転はもちろんのこと、クルマのこと全般を教えてくれた先生。この仕事を続けられているということは、人生の師匠といっても過言ではないのである。文=石井昌道(自動車ジャーナリスト) 写真=Tipo編集部(ENGINE2020年7・8月合併号)
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