2022.02.26

CARS

自動車ジャーナリストのみなさんに聞きました「これまでに出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台はなんですか?」日本車篇

あらためてクルマとともに過ごしてきた来し方を振り返り、クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて、じっくりと考えてみるスペシャル企画「わが人生のクルマのクルマ」。このタイトルは先日亡くなられた石原慎太郎さんの小説『わが人生の時の時』にヒントを得て付けました。石原さんの作品には、作家が人生の中で遭遇した「決定的な時」をめぐる40の物語が集められています。ENGINEの企画では、ジャーナリストおよびENGINE関係者のみなさんに、それぞれの人生の中で出会った「決定的なクルマ」について語ってもらいました。その中から今回は、ジャーナリストのみなさんの「もっとも印象に残っている1台」のうち、特に日本車について語った内容を、ダイジェストで紹介します。

きっかけはモータースポーツ!

自動車ジャーナリストといえども、はじめはひとりのクルマ好き。もうクルマが好きで好きで、若い頃は好きが高じてなけなしのお金でレースに出たり、ラリーに出たりと、モータースポーツから自動車ジャーナリズムの世界に足を踏み入れることが多かったようです。

国沢光宏さんと日産510ブルーバード

国沢光宏さんは大学自動車部の先輩がドライブする競技用ラリー車両の助手席で人生「最初の一撃」をくらったそうです。そのクルマは日産510ブルーバード! ソレックスのキャブレターに本格グラベル・タイヤ、大森のフルバケット・シート……。この時の衝撃が今もラリーに出場し続ける原動力になっているというから相当なものだ。



河村康彦さんとトヨタKP61スターレット

510ブルーバードはラリーで名を上げた日産の名車中の名車だが、トヨタにもクルマ好きの若者が必ずと言っていいほどその名を上げる名車がある。KP61型スターレットがそれ。この1970年代の終わりの頃のトヨタを代表するエントリー・モデルが後の自動車ジャーナリストとしての人生を決めることになったと語るのは、河村康彦さんだ。学生時代、一家のクルマという条件付きで資金援助を受けて所有したのは1.3リッターOHVでパワーはたったの72馬力に過ぎない初期型の丸目ヘッドライトの5ドア・モデル。MTのSグレードのこのクルマで河村さんは嬉々としてサーキットに通ったというストーリーはぜひ本篇をお読みください。



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