2022.03.15

CARS

40代後半になってベンツに呼ばれた! 俳優の光石研さんが一度はあきらめながら再会した運命のクルマとは

クルマ好きのゲストを迎え、「これまでに出会ったクルマの中で、人生を変えるような衝撃をもたらしてくれた1台」を聞くシリーズ。今回は、俳優の光石研さん。映画やテレビ・ドラマを見終わったときに、主役ではないけれど、心にじわりと残る人物がいる。光石研さんはその代表格だ。派手にキメるのではなく、センスの良さで勝負する。クルマ選びもまさにそうなのでした。

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最初のマイカーはボルボ・アマゾン

オープン・スタジオにスーッと入ってきたクルマは、1963年型メルセデス・ベンツ190。60年近くを経たクルマとは思えない輝きに目を奪われていると、運転席からオーナーである俳優の光石研さんが降り立った。

「こんにちは。クルマ、ここでいいですか?」

初対面なのに、昔からの知り合いみたいな感じがするのは、警戒心を与えない光石さんの柔和な表情のせいかもしれない。とても穏やかな雰囲気があたりを包み、空気が暖かくなったような気さえする。



「父がクルマ好きで、60年代のトヨタ・パブリカから始まり、コロナ、セリカとずっとトヨタ車が家にありました。普通にクルマが好きな男の子でしたよ。子供の頃は、街を走るクルマの名前を友達と当てっこしたりしていました」

16歳で映画のオーディションに合格した光石さんは、この世界で生きていこう! と決意し、高校卒業とともに東京へ移った。

「東京に出て2年ぐらい経ってからですかね。クルマを買ったのは」

なんと、最初のマイカーはボルボ122Sアマゾンだという。

「70年代の終わりから80年代のあたまにかけて、フィフティーズ・ブームがあったんです。それに感化されまして。ミッドセンチュリーのライフスタイルが人気で、原宿の古着屋も大賑わい。リーゼントの人もいっぱいいましてね。そういう雰囲気をボルボのアマゾンに感じて、“ああ、これ欲しい!”と我慢できず、21歳のときに買っちゃいました」

ミッドセンチュリーと聞くと、シボレー・ベルエアなど、フィンテールを持ったアメリカ車を想像するが、なぜボルボ・アマゾン?

「ベルエアはプラモデルを買いました(笑)。大きいアメリカ車は、僕には似合わないと思ったんです」

ブームにまかせ、リーゼント・ヘアにフィンテールのアメリカ車! というベタなスタイルには行かず、あえてアマゾンというところに独特のセンスを感じる。いまでも洋服やメガネなどにこだわるオシャレな人として、ファッション記事に登場する光石さんらしい選択だと思った。

MERCEDES BENZ 190 W110のコードネームを持つメルセデス・ベンツは、1961年にデビュー。1968年まで製造・販売された。1961年から1965年までが前期型、1965年から1968年までが後期型となる。

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