2022.08.06

CARS

50周年を迎えたピニンファリーナの風洞 フェラーリF1マシンも五輪トーチもここから生まれた!

風洞の50周年式典ではハイパーEV「バッティスタ」が置かれた。

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イタリアのカロッツェリアにおける先進性の象徴だったピニンファリーナ社。クルマのみならず、数多くのイタリア製品を生み出してきた同社の風洞の歴史を振り返る。

社外テストにも貸し出され……

ピニンファリーナがトリノ郊外グルリアスコに風洞を完成させたのは1972年。実車計測用としては当時、イタリアで唯一、世界でも7番目だった。当初はクルマの高速域における各種研究が想定されていたが、完成翌年に起きた石油危機をきっかけに、燃費向上のための空気抵抗軽減実験にも多用されるようになる。

この風洞は社外のテストにも貸し出されてきた。歴代のフェラーリF1マシンや二輪のBMW R100RSがその例だ。さらに縮尺模型を用いた特急列車や航空機、ゴルフ・クラブ、五輪トーチなどもタービンの前に置かれ、強風を受ける運動選手の練習にも活用されてきた。

6月21日、施設の誕生50周年記念式典が行われた。パオロ・ピニンファリーナ会長は、祖父にあたる創業者バティスタの「冬山で風によって抉られた雪の形を模してクルマを造りたかった」という言葉を紹介。ピニンファリーナ草創期からのクルマと空気との関わりを強調した。またデザイン担当重役のケヴィン・ライス氏は、今日、電動化によって車両重量が平均30%増加していることを指摘。空力性能の向上の必要性を改めて説いた。



経営危機にあっても

2000年代に入ると、かつてデザイン事業とともに会社を支えてきた車体OEM製造部門の受注が激減、ピニンファリーナは深刻な経営危機に陥った。結果として2011年に一切の車体製造から撤退。2015年にインドのマヒンドラ傘下となり、デザイン&技術開発に集中するかたちで再出発した。

だがそんな波乱の中でも、ピニンファリーナは風洞を手放さなかった。経営危機の真っ只中である2007年に入社したシルビオ-ピエトロ・アンゴリ社長に聞くと、「私が残したのです」と答えた。大学で理論物理学を専攻し、航空機メーカーの研究者としてキャリアを積み始めた彼は、この業界における流体力学の重要性を心から理解していたのである。

多くの人々の情熱によって支えられ、存続してきたピニンファリーナの風洞。前述したように、数多くのイタリア製品がここで生まれた。そうした意味でもこの施設は、20世紀イタリアの建築遺産に相応しい、といっても過言ではなかろう。



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文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA 写真=Akio Lorenzo OYA, Pininfarina

(ENGINE2022年9・10月号)

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