この個体は、1988年にパリはジャヴェル河岸の本社工場での生産が終了したあとポルトガル工場で2年間製造されたもののうちの1台で、最終1990年型。
全ての画像を見る
30代でGSを購入して以来、数多くのシトロエンを乗り継いできた鈴木正文さん。シトロエンに乗ることは料理にたとえれば美味を追究することだという。免許を取ってまず買った2代目カローラ運転免許をとったのは1978年の29歳のときだった。クルマへのことさらな関心がなかったからとらずにいた。しかし、夜中にタクシーがつかまらないところに住んでいたころ、最初に生まれた子がよりによって夜中に熱を出すことしばしばで、救急車の出動要請をしたあげくにたんなる扁桃腺炎でしかないと判明したことが2、3度あり、有限な社会的資産の救急車を結果的に不当に利用したことを反省せざるをえなかったのがきっかけになって、みずから運転する自家用車で病院に行けるようにしたいとおもいを定め、数カ月のあいだ、早朝6時に起きて出勤前に教習所通いをするという労苦を重ねて免許をとった。そして、運転することがこんなにむずかしくもおもしろく、身体的でも知的でもあるよろこびを提供するものか、ということをおかげで知り、俄然、クルマに猛烈な興味をいだいて、『CAR GRAPHIC』誌の熱心な読者のひとりになった。
免許を取得してまず買ったのは、諸事情あって中古の、2代目「E2」型の、1.4リッター、コラム式4段マニュアル・シフトのカローラ2ドア・セダンだった。そのカローラには、しかし、1年ほどしか乗らず、翌1979年に、三菱から公称100馬力のランサーEX1600GTが発売されると、この端正なイタリアン・デザインのセダンに乗り換えた。そのランサーに不満があったわけでもないのに、2年を経ずして中古のシトロエンGSに手を出したのは、『CG』誌の「ユーズド・カー・ガイド」欄に90万円と、買えない金額ではない値段で売りに出た76年型だったかのGSクラブを発見したからだ。『CG』誌上のシトロエン関連記事を読みふけるだけでなく、フランス文学を学びたくて大学に入ったともいえるほどフランス文化への知的関心が強かったこともあって、ハイドロニューマティック・システムが全身に血管のように走るこの特異な成り立ちのクルマへの欲望が、にわかに抑えがたくなったのであった。
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。
いますぐ登録
会員の方はこちら