イタリア・トリノ自動車博物館で開催中のTHE GOLDEN AGE OF RALLY
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スイスの名門時計ブランドの元CEOであり、若かりし日はラリーにも参戦していたジーノ・マカルーソ氏。その秘蔵車19台がイタリア・トリノ自動車博物館で展示されている。
伝説のサクセス・ストーリー
ルイージ・マカルーソ(1948-2010)といえば、スイスの名門マニュファクチュール、ジラール・ペルゴの元CEOとして記憶している熱心な時計ファンも多いだろう。そのサクセス・ストーリーは、ある種の伝説である。イタリア・トリノに生まれた彼は工科大学を卒業後、スイス製時計の代理店勤務を経て82年に独立。ブランパンやハミルトンなどの販売元となった。続いてジラール・ペルゴに資本参加し、1992年には44歳で同社会長に就任。1999年からはマニュファクチュール時計の業界団体AIHHの会長を3期にわたり務めている。

そんな彼のもうひとつの顔が、カー・エンスージアスト、“ジーノ”・マカルーソである。20代でラリーに魅せられたジーノは、学生であるにもかかわらずフィアット-アバルト・ファクトリー・チームのナビゲーターに抜擢される。72年にはR.ピントと124スパイダーを駆り、欧州ラリー選手権とミトローパ・カップで優勝。74年にはM.ヴェリーニとフィアット124アバルトでイタリア・ラリー選手権を制した。すなわちクルマへの情熱は時計業界で頭角を現す以前に始まっており素晴らしい戦績も伴っていた。
お蔵入りになった幻の一台も
10月、トリノ自動車博物館でオープンした企画展は1972年の初優勝から半世紀を記念したものだ。会場には彼が収集したラリーカー19台が展示されている。一角には1974年フィアットX1/9アバルト・プロトタイプも。当時26歳だったマカルーソがフィアットから委託されて開発リーダーを務め、F1パイロット“クレイ”ラガッツォーニとジーロ・ディタリアに参戦するまでに至った。だが、直後にメーカーの方針変更でお蔵入りとなった。幻の1台として欧州のX1/9ファンの間で語り継がれてきた車両だ。

50代のマカルーソは、スイス時計業界の重鎮であり続けながら、イタリアのモータースポーツ団体で要職を歴任。2010年に62歳でこの世を去るまで、後進の育成にも注力した。自身で結成したジュニアWRC参戦チームは、2001年に準優勝。さらにF1の登竜門であるFIA(世界自動車連盟)のカート部門理事長も務めた。単なるコレクターではなく技術の一端を支え、未来を担う若者の支援者となったマカルーソの姿は、ルネサンス美術の歴史的パトロンとも重なる。

■THE GOLDEN AGE OF RALLYはイタリア・トリノ自動車博物館(MAUTO)で2023年5月2日まで開催中。
文・写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
(ENGINE2023年1月号)
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