2023.07.02

CARS

【後篇】全車動態保存にこだわる理由を知ると、「トヨタ博物館」での体験はさらに面白くなる! 日本が世界に誇る屈指の自動車博物館のどこが凄いのか

自社のクルマを特別扱いするな! 故豊田章一郎氏の言葉が誕生させた世界屈指の自動車博物館「トヨタ博物館」。すべての収蔵車を動態保存する、今年で開館34年を迎える「モノを語る博物館」をモータージャーナリストの藤原よしおがリポートするシリーズ。前篇に続いて後篇をお送りする。◆前篇から読む場合はこちら!

懐かしさのオンパレード


前篇のゾーン11に続くゾーン12で掲げられているテーマは「新たな車種の誕生」。それまでのセダン、クーペといったスタイルから、SUV、ミニバンなど、人々のライフスタイルに合わせて新しいジャンルのクルマが生まれた80~90年代のモデルを集めたネオ・クラシック世代垂涎のコーナーである。

懐かしい初代セルシオも、プレミアムなクロスオーバーSUVの先駆けとなったハリアーもある! と近づくと、増茂副館長がこんなことを教えてくれた。

LEXUS LS400 (1990) レクサス・ブランドの立ち上げとともに発表されたフラッグシップ。日本車らしいハイテクと高品質、そして高い信頼性で欧米高級車マーケットに一石を投じた。自動車殿堂、歴史遺産車。


「これ実はセルシオではなくレクサスLS、ハリアーではなくレクサスRXなんです。どちらも日本より数ヶ月先に北米市場で販売がスタートしているので、最初のモデルを展示しているんです」

そう聞いて、当時の自動車誌でセルシオの国内試乗記よりも早く、LSとロールスロイス・シルバースピリットを比較する海外翻訳記事の方が早く掲載されていた記憶がパッと蘇る。

そこからはもう“懐かしさ”のオンパレードである。ゴールドとブラウンメタリックの2トーンに彩られた初代ソアラのインテリアを覗き込み、デジタルメーターのグラフィックや高級車の証だったブロンズガラスに歓喜したり、AE86型カローラ・レビンGTアペックスの、熱を感知して自動開閉するエアロダイナミックグリルに憧れたのを思い出したり、「これが量産車世界初のマルチリンク・サスペンション装着車なんですよね」と、W201型メルセデス・ベンツ190Eを前に語り合ったりと、自分でも驚くくらい頭の片隅に眠っていた知識と記憶がスラスラと出てくるのは、この時代のクルマたちがソフト、ハードともに様々な新規軸を打ち出し、話題に溢れていた証拠であるように思う。

MERCEDES-BENZ 190E (1989) 空気抵抗の少ないボディ、フロント・ストラット、世界初のマルチリンクを採用したリアサスペンションなどの新機軸を投入。日本でも“5ナンバーのメルセデス”として歓迎された。


気づきを与える展示

そういう意味では、ハチロクの反対側に並んでいたハイラックス・サーフとエスティマも象徴的な展示だといえる。

ハイラックス・サーフは、もともと81年にアメリカ・アイオワのコーチビルダー、ウィネベーゴ・インダストリーが、小型ピックアップのハイラックスの荷台にFRP製のキャビンを載せたカスタムモデルとして生まれたものだ。そして西海岸を中心としたヒットを受け、83年にトヨタのレギュラーモデルとして登場。小型RVの先駆けとしてだけでなく、西海岸で愛されるトヨタ車の代表格として、多くのライバルたちに影響を与えたのはご存じの通りだ。



TOYOTA ESTIMA (1993) 空力的でスペースユーティリティに優れたボディ、アンダーフロアのミッドシップ・レイアウトによる高い運動性、内外装の高いクオリティを誇った、国産ミニバンのパイオニア的存在。

一方のエスティマは「天才タマゴ」というキャッチフレーズで、流線型のモノスペースボディ、ミッドシップ・レイアウト、多彩な4WD、ユーティリティの高いシートレイアウトなど、前衛的な成り立ちでセンセーションを巻き起こした国産ミニバンのパイオニアといえる存在である。

そして、この2台のエッセンスを合わせ、上手く昇華させたのが、隣に並んでいるレクサスRX(ハリアー)なのだ。そんな“気づき”があちこちに落ちているのも、トヨタ博物館の展示の妙である。

LEXUS RX300 (2000) カムリをベースとしたクロスオーバーSUV。乗用車ライクな乗り味と、高品質な快適なインテリアで、北米を中心にヒットを記録。都市型プレミアムSUVという新たなジャンルを切り拓いた。


ネオ・クラシックのアイドル


そんなゾーン12のハイライトといえるのが、日本車の黄金期に生まれた3台のスポーツカー、ユーノス・ロードスター、日産スカイラインGT-R、そしてホンダNSXの3台である。

いずれもオリジナルの素晴らしい個体なのだが、増茂副館長によると、GT-Rはオールペイントし直す際に、わざわざ日産の座間記念庫まで足を運び、ホイールの色合わせもキッチリと行ったというエピソードの持ち主。またNSXに関しては、長らく「初代のオリジナルの、赤のMT」とずっと探していたら偶然見つかり、2年ほど前に収蔵車に加わったもの。しかもこれまた走行2万kmほど、塗装も磨きをかけただけという、奇跡のような1台だった。



HONDA NSX (1991) 世界初のオールアルミ・モノコックを採用した2シーター・ミッドシップ・スーパースポーツ。高い実用性、パッケージ、走行性能から、あのゴードン・マレーが絶賛した1台でもある。




よく、バブル期の象徴のようにいわれるこの3台だが、こうして博物館の中の流れの一環として見てみると、好景気だから生まれた……という単純なものではなく、世界に追いつけ、追い越せで切磋琢磨してきた日本の自動車界が、やっとそれぞれの個性を活かした本格的なスポーツカーを開発、生産できるまでに成熟した証であるように感じられる。

もし、この3台が生まれ、評価されていなかったら、フロント・ミッドシップ、トランスアクスル、自然吸気V10エンジンのスーパースポーツ、レクサスLFAが誕生することも、世界中で“ジャパニーズ・スポーツ”が人気を博することもなかったかもしれない。そういう意味でもゾーン12のスポーツカーの一角は、象徴的な場所であるように思えた。

過去から未来を考える

現在、常設の140台を含め、トヨタ博物館の所蔵車は600台近くにのぼるという。

その1台、1台を動態保存で維持するというのが、どれだけ大変なことであるかは想像に難くないが、電子燃料噴射装置(EFI)のついた80年代以降のクルマ、さらに初期のハイブリッド車やEVモデルは、部品の調達を含め維持をするのが年々厳しくなっているのだそうだ。



それでも動態保存に拘る理由を増茂副館長はこう説明する。

「動態保存をやっている意味は、乗ってみて初めて、この構造でこういう走りができるのかとか、先人たちが試行錯誤してできたことを知ることができるからです。140年前に動力の模索があって、新たな岐路に立った今、懐かしいだけで終わるのではなく、これからの30年のモビリティを、この場を通じてみなさんと考えましょうというのが、我々の願いです」

我々クルマ好きにとって、そんな思いが込められた博物館が日本にあるというのは、素直に歓迎すべきことだろう。そしてもう1つ改めて実感したのは、トヨタ博物館が出来た89年が、今の日本の自動車文化の土台を作った偉大な年であったということだ。

EUNOS ROADSTER (1989) ファミリアのコンポーネンツを使った2シーターFRスポーツで、世界的なライトウェイト・オープン・ブームを生み出した。スタイリッシュなユーノス・チャンネルのPR手法も注目を浴びた。


文=藤原よしお 写真=茂呂幸正

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(ENGINE2023年7月号)

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