2023.07.16

CARS

「F1」の始祖で、マクラーレン初の公道用スポーツカーとして計画されたM6GTの1号車に迫る

創立60周年を迎えたマクラーレンが1960年の終わりに初の公道用スポーツカーとして企画した「M6GT」。残念ながら市販化されることはなかったが、その1号車である「M6GT-1」はマクラーレンの創設者であり、M6GTの生みの親でもあるブルース・マクラーレンがプライベート・カーとして愛用された。マクラーレン初の公道用スポーツカー、「マクラーレンF1」の始祖となる幻の名車の1号車について紐解いてみる。

ル・マンにも出場できる市販スポーツカー

創始者ブルース・マクラーレンは当初、グループ4のレース・バージョンでル・マンを目指すとともに、ロード・バージョンを仕立て最大で250台生産する計画をもっていた。残念ながらその計画はいずれも実現することなく終わったが、1号車として製造された「M6GT-1」はブルース本人のプライベート・カーとして公道デビューを果たしている。



最初に2台を製作

話は1969年に遡る。当時カスタマー向けのマクラーレンの生産を担当していたトロージャン・トーラナック・レーシングでは、1号車のM6GT-1とレース仕様としてオーダーを受けていた2号車「M6GT-2R」の製作が進められていたが、グループ4ホモロゲの取得が不可能とわかると、ブルースの指示でM6GT-1はロード・カーとして仕立てられることとなった。

結局、M6GT-1が完成したのはM6GT-2Rの完成から1年近く遅れた1970年初頭だったのだが、その原因はほかのレース・カーの製造が優先されたこと、彼らがロード・カー作りのノウハウを持っていなかったこと、そしてブルース本人のこだわりで変更が絶えなかったことだと言われている。



シボレーのV8を搭載

ブルースの好みで赤い外装、黒いレザー内装に仕立てられたM6GT-1はマクラーレンのレーシング・カー「M12」のモノコック60-01をベースとし、手動式(ヘッドライトの隙間に指を突っ込みライトを引き上げる!)リトラクタブル・ヘッドライト、サイド・インテークのフィン、左右のブレーキ・ダクト用インテークが塞がれたフロント・カウルなど、この個体特有のディテールをもっていた。

エンジンは375PSにディチューン(M6Bは530ps)されたシボレー5.7リッターV8OHVスモール・ブロック。ギヤボックスもM6BのヒューランドLG600 5段MTではなく、扱いやすいZF製5DS-26の5段MTが搭載されている。



ブルースがプライベート・カーとして愛用

「OBH 500H」のレジスター・ナンバーを取得したM6GT-1はブルースのプライベート・カーとなり毎日の通勤に使われたほか、70年3月22日にブランズハッチで行われたF1非選手権「レース・オブ・チャンピオンズ」ではブルースがパドックに乗り付け、注目を浴びた。

しかし、6月2日12時22分、グッドウッドでCan-Am用M8Dのテストをしていたブルースはラヴァント・ストレートでリヤ・カウルが外れクラッシュ。帰らぬ人となってしまった。



現在はアメリカのコレクターが所有

いきなりチーム存亡の危機に立たされたマクラーレンを救ったのは、63年の創設以来マネージャーとして支えてきたテディ・メイヤーと、同郷のドライバーで68年のF1チャンピオンであるデニス・ハルム、そしてブルースとともにニュージーランド国際GP協会のスカラシップ1期生として渡英したフィル・カーといった面々だった。

それぞれブルースと深い絆で結ばれていた彼らはチームの存続に奔走。その努力の結果、解散の危機を免れただけでなくトップ・チームとして躍進し、74年と76年には悲願のF1ワールドチャンピオンにも輝いたのである。

なかでも引退までマクラーレンで走り続けるなど、終生ブルースに忠誠を尽くしたハルムはフィル・カーと共同でM6GT-1を購入。ニュージーランドへと送り、M6GTの再生産を試みるも断念。そのままオークランド交通科学博物館に寄贈したことでオリジナルのまま保存されることとなった。ところが、92年のパサースト1000でハルムが急死したのを期にアメリカのコレクターに売却されている。



2015年に公の場に姿を現す

そんなM6GT-1が久々に公の場に姿を見せたのは2015年、ブルース・マクラーレン・トリビュートが行われたグッドウッド・リバイバル・ミーティングでのことだった。

この因縁のサーキットでM6GT-1のコクピットに収まったのは、ブルースの1人娘でマクラーレン・オートモーティブのアンバサダーを務めていたアマンダ・マクラーレン。キーウィのマークの入った白いキャスケットを被った彼女にドライブ前に話を聞いた。

「まだ4歳だったから、父のことはあまり覚えていないの。緊張しているけど、父が大事にしていたクルマを運転できるのは光栄ね」

そう話すと、彼女はスムーズにM6GT-1のクラッチを繋いでコースに出て行った。それはまたグッドウッドで途絶えたマクラーレン家の歴史が、再び大きく動き出した瞬間でもあった。



文=藤原よしお、写真=藤原よしお、マクラーレン

(ENGINE WEBオリジナル)

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

いますぐ登録

advertisement

PICK UP



RELATED

advertisement